犬鳴峠

怖い話

犬鳴峠

投稿者:沢中 陽さん


私は奇妙なことに、成人して数年を経てから霊感が目覚め、
あちこちで霊を見るようになってしまいました。
存在感の濃い霊だと話しかけられたり、
頼って来られたりすることが多くなってきたので、
知人の伝で英彦山系の修験者の家系だという
霊能力の強いM氏に霊からの干渉をシャットアウトする方法と

邪霊を払う簡単な方法を教わったことがありました。
でも、だからこそ、心霊スポットだとか言われている場所には
なるべく近付かないようにしていたのですが、
犬鳴峠には、旧友K君からどうしてもと頼まれて
止む無く付き合わされたことがありました。
彼は私と同様、文章を書くのが好きで、地元情報誌に
犬鳴峠の恐怖レポートの企画を持ち込もうと考えているのだが、
そのための下調べに行く前に犬鳴峠に関する情報を集めていたところ、

数人の体験者から、
「二度と行きたくない」

「あそこだけは止めた方がいい」
などと言われて恐ろしくなり、イザというときのため、
私に着いて来て欲しいと執拗に懇願され、

渋々付き合ったのでした。
私は行くなら昼間が良いと言ったのですが、K君は

「深夜でなければ意味が無い」

と、どうしても夜に行くと言って聞かないので、

「何があっても責任は持てない」

と約束した上で同行しました。

私は自分に対しての霊障を防いだり、浮遊霊や地縛霊を遠退けることは出来ますが、

万一、人に憑いてしまった霊を除霊する方法は教わってなかったのです。

だから万が一を考え、M氏の連絡先を書いた手帳を持って行きました。
私達が旧道トンネルを訪れたのは、平成8年初夏の、
珍しいくらい星が綺麗な夜でした。
彼の車で行ったのですが、旧道トンネルに着くまでは
色々な人が色々なサイトで様々な表現を駆使して

散々記しておられるようなので割愛します。
車を下りてすぐに感じたことは、この地域は、
かなり広大な範囲に亘って別世界であるということです。

多分、本来人間が足を踏み入れるべきでない場所なのでしょう。

その証拠に、県道21号線から山道に入った途端、空気が違うのです。
初夏で若干暑い日でしたから車窓を半分くらい開けていたので、
それを如実に感じました。

犬鳴峠に実際に行った経験があれば、それを感じた人は多いことだと思いますが、
県道から反対車線を斜めに曲り込んで鉄扉の設置されている
支柱の辺りを過ぎた辺りから、空気の密度や温度、
匂いが明らかに一変するのです。

深夜で、車のヘッドライトとハイパワー懐中電灯以外一切光源が無かったので、

周囲の細部に関しては殆ど分りませんでしたが、隧道に歩み入る以前から、

漆黒の森の奥から木の葉の囁きと同じくらいのボリュームで、
ざわざわざわざわと無数の人ではない人の声がずっと、
引っ切り無しに聞こえてきていました。
街中やほかの場所でもそうでしたが、ここで私が見た霊体の殆どが
ぼんやりとして実体を成さない白や灰色、

薄黒い煙のようなもので、小さなものはパチンコ玉程度のものから、

大きなものは直径1メートル余りの球体に近い形として見えます。

存在感の強い霊は生前の姿で現れたり、特に強烈な霊体は顔(頭)だけ、
ここではそういう霊体はありませんでしたが、

別の場所で額から顎まで3~4メートルくらいの巨大な顔を見たこともあります。

彼は恐怖心から、

「2メートル以上離れないでくれ」
と言うので、常に1メートル程度の距離を置いて二人で
ゆっくり歩いてトンネルを通り抜け、再び戻って来ました。
彼は一眼レフのカメラで往復50枚程度の写真を撮っていましたが、
後日見せてもらったところ、
俗に霊球と言われる球体や青白い光が入っている程度で、
決定的な“心霊写真”は一枚も有りませんでした。

例のゴツゴツした天井や壁面の凸凹の

「この辺が顔みたいに見えないか?」

と言われましたが、単なる壁の凹凸に過ぎないものばかりでした。
私は気を張っていたこともあっていくつもの霊気を
ひとつひとつクリアして行きましたので、

無事に帰ってこれましたし、K君の方も霊を連れて帰って来ることもなかったので、

行く前に抱いた私の心遣いも杞憂に過ぎませんでした。
元々彼は霊感なんて全く無いと言っていましたので、
生来の跳ね返す力がつかったのでしょう。
私は犬鳴峠だけではなく、犬鳴山そのものが
霊山なのではないかと考えたので、その後、

百道の福岡市総合図書館で色々と宗教関係、心霊研究の文献を読み漁りました。
K君と行ってから1年近く(もしかしたら1年以上)のちに、持論を確かめるために、

昼間にもう一度旧道トンネルへ行きました。
若宮側から入ったのですが、中に入ると反対側の出入口の辺りに
大量の土砂と木々が道を塞いでいました。

数日前の大雨で福岡側の出入口の上の崖が土砂崩れを起こしていたのでした。
中を歩いて進んで行くと土砂と数本の大木や細木が
出口を完全に塞いで、約1.5メートルほど山積していました。
乗り越えて福岡側に出ようかとも思いましたが、
足場が悪かったので引き返して戻って来ることにしました。

若宮側から入って4分の1ほどの辺りの向かって左側の辺りに

比較的実体がはっきりしている霊体の存在を感じていたからでした。
もう慣れっこになってしまってからは、霊に対する恐怖心は薄れてしまい、

どうにかすると無言で話す霊と私の方は声を出して会話していることもあります。

だから何故ここに居るのか尋ねてみようという気になったのです。

彼はまだ戦前の昭和10年代に那珂町(現在は博多区)元町に住んでいた高校生で、

生活苦から一家心中の巻き添えになって亡くなったのだそうです。
彼自身死ぬ気はなく、生への未練が未だ断ち切れずにいるので
成仏出来ないと嘆いていましたが、彼は
「何故ここにいるのかは分らない。国鉄雑餉隈駅近くの自宅の居間で、

突然父親から襲われて手拭いで首を絞められて死んで、
それから風に運ばれるように地を這うように町や田んぼを
ふわふわと移動して来て、気付くとこの山(犬鳴山)の

この付近に着いて、以来50年以上ずっとこの辺りをうろついているのだ」

と答えた。

「雑餉隈」は西鉄の駅で国鉄(JR)の駅名には無い。

元町という住所は確かにJRの近くだが、「南福岡駅」である。

昔のことで何か勘違いしているのだろうと思っていたら、

「南福岡駅」は昔は「雑餉隈駅」という駅名だったということを最近知った。
つまり、私の辿り着いた結論は“犬鳴山は霊山である”
ということなのです。
福岡市近辺は大陸に近い地理条件により、弥生時代からなる
日本最古の文化圏であるとされています。

そして成仏出来ない魂は東北(鬼門)に進む(運ばれる)のです。
本州全域に於いては青森恐山。関東(首都圏)に於いては筑波山。
京都に於いては比叡山。
九州全域に於いては国東半島両子山という具合に“霊山”は位置し、
それは古代の福岡に於いても同じことです。
地図を見て下さい。福岡都市圏から東北方向に直線を延ばして
一番最初の山。それが犬鳴山なのです。

少し逸れた低山「遠見岳」もありますが、329メートルの標高は584メートルの犬鳴山の比ではなく、

霊山としては役不足です。
 霊は肉体を離れ、読経を施し手厚く葬られれば昇華して
天上にあるという霊界(須弥山)へ旅立ちますが、

地上に深く未練を残したり、自殺、悪行を為した魂、

また親族による葬送が充分でない魂は地上から離れることができません。
そのため、霊魂は究極の到達点である天界になるべく近付ける所を
探して少しでも高い“山”を目指します。

また、『霊は霊を呼ぶ』とも言われ、霊体の集まっている地域には、

数百、数千年を経ても霊は吸い寄せられるようにして集まってくるのです。

 鬼門(東北)に霊山の環境に適した高山が無い場合、

裏鬼門である南西に霊山が位置している場合もときどき見受けられます。
その分り易い例が北九州市に於ける福智山や飛鳥、
奈良地域に於ける高野山などです。
比叡や高野山、両子山など通常霊山には寺社が発展し、
宗教的聖地になる例も少なくないのですが、
犬鳴峠の場合、英彦山系修験者の峯入りコースである
三郡山系から逸れてしまっていることもあり、

霊山としての宗教的施しは殆どなされていません。

だから犬鳴山は浮遊霊の無法地帯と化してしまったのです。
旧犬鳴トンネルは山の土中の水脈を切断してしまっている上に

トンネル工事技術としては未成熟な時期に建設されたため排水設備が施されておらず、

内壁から染み出た伏流水が路面に水溜りを作っている状態でしたので

トンネル内は常に高湿気の空気を形成しています。
ただでさえ霊が集い来る霊山なのに、常に高湿気、
暗闇という霊の好む環境であるこのトンネルに

霊が集まってくるのは当然のことなのです。
人間が通行する場所に霊が出現しているのではなく、
霊の生息地域を人間が侵しているのだということを自覚し、

反省するべきてはないでしょうか。

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