おみず…おみずをちょうだい

怖い話

おみず…おみずをちょうだい

投稿者:松沢直樹さん

小さい頃から、多少の霊感があるせいか、身の回りで起きた霊現象に

いちいち驚かなくなってしまいました。

そのせいか、すっかり忘れていたのですが、ちょうど仕事をしていたら、

あることを思い出したので投稿させていただくことにしました。

お付き合いいただければ幸いです。
以前、投稿させていただいた時にもお話させていただきましたが、
僕は、芽の出ない作家をやっています。
この話は、作家として活動を始めたころの事ですから、
ちょうど10年ほど前の事になるでしょうか。

もうすぐ三月になろうかという、ある日のことでした。
名刺交換をしていた出版社から、雑誌の記事を書いてほしいという
依頼を受けました。
名のある出版社であること。
また、初めての本格的な仕事ということもあって、
打ち合わせの時に出されたコーヒーを、
緊張して全く飲めなかったことを覚えています。
話はとんとん拍子に進み、商談成立。
しかも、急ぎの仕事ということもあって、
出版社負担でホテルを用意してもらうこと。
また、ギャラを10パーセントアップしてもらうことを提示されました。

当時、僕は、ほとんど仕事がなく、せいぜい1回に、
5千円程度の新聞の折り込み広告の原稿しか
手がけていませんでしたので、
まさに天にも昇る心持ちで、出版社の打診に、
即「イエス」の返事を出しました。
さて、ホテルにこもる数日前、担当の編集者の方と
面会する日がやってきました。

編集者とは、出来上がった原稿をチェックしたり、雑誌の体裁に合わせて、
記事の一部を加筆したり、削除したりする
仕事をして下さる方のことをいいます。

また、作家が執筆のためにホテルにこもる際は、時間の管理など、

マネージャ的なことをしてくださることも少なくありません。
要は、作家とともに、二人三脚で、読者のみなさまに
見ていただける記事を作る人だと

思っていただければよいと思います。
担当編集者の方は、当時、その会社としては珍しく、
僕と同年代の女性の方でした。
聞けば、僕と同じ北九州の出身だということで、
話もウマが合い、スムースに仕事が進められるような、

好感が持てる人でした。
ホテルに缶詰になる日の夕方、東京の江東区の
とある駅で待ち合わせて、ホテルにチェックイン。

「そしたら、一時間後にロビーで待っとるね」
「はい、松沢先生、寝不足みたいやけん、
そのまま寝たりせんようにしてくださいよ」

「ははは、当たり前やないね」
当然のことですが、彼女とは別々の部屋ですので、
チェックインした後、一時間後に一階のロビーに集合。
そして、レストランで夕食を取りながら、
仕事の打ち合わせをすることを約束して、

それぞれ別の部屋に別れました。
ホテルのかなり上部のフロアだったということもあって、
窓の外は東京の夜景がよく見えます。
備え付けの冷蔵庫からドリンクを取り出して飲みながら
(自由に飲んでいいと言われていた)

作家として大きな仕事に携われる喜びを満喫していました。

さて、そうこうしているうちに、瞬く間に1時間近くが過ぎてしまいました。
荷物を整理し、貴重品だけを手にした後、
1Fのロビーに降りてみましたが、彼女の姿はありません。
女の人ですから、入浴とか身だしなみに時間を取られて
時間が遅れているのかなと思い、
しばらく待つことにしましたが、それから20分経っても
30分経っても彼女はロビーに降りてきません。
さすがにおかしいと思いましたが、
当時は携帯電話も普及していませんでしたので、

簡単に連絡を取ることができません。
ホテルの人に頼んで、フロントから
電話してもらうという手もありましたが、何だか気が引けるので、

もう一度宿泊しているフロアに戻って、彼女の部屋を訪ねてみることにしました。

「○○さん、どげんしたと? もう時間過ぎとうよ」
エレベータでフロアにあがり、彼女の部屋のチャイムを鳴らしましたが
何の返事もありません。

何度か部屋のドアをノックした時でした。

何気なくドアのノブを回してみると、鍵がかかっていません。

「○○さん、入るよ」
妙な胸騒ぎを感じ、部屋の中に突入した瞬間、
異様な光景が目の前に飛び込んできました。

「○○さん、どげんしたと!」

彼女は、部屋の床の上に、あおむけに倒れていました。

一瞬、暴漢にでも襲われたのかと思いましたが、外傷はありません
慌てて脈を取ってみましたが、意識をうしなっているものの、
呼吸も正常です。
とはいえ、頭部を激しく打っていたりすると、
脳障害などを起こして、生命に危険が及ぶことが予想されます。

頭の下に枕をしいて、安静にできる姿勢を確保した後、救急車を呼んでもらうよう、

部屋に備え付けの電話でフロントに電話しようとした時でした。
「おにいちゃん、おみず、おみずをちょうだい…」

意識を失っていた彼女が、うわごとのように、そう喋ったのです。

「分かった、お水ね。ちょっとまってね」
通常でしたら、そんなうわごとには構わず、
フロントに電話して救急車の出動を要請したでしょう。
ですが、その時は僕も気が動転していたのでしょうね。
受話器を置くと、

急いで部屋に備え付けの冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取りだし、

彼女を抱きかかえ、口元に近づけてあげました。
彼女は、やおら目をあけると、まるでむさぼるように、
僕の手からミネラルウォーターのボトルを手に取り、

音をたてて飲み干してしまいました。
「ありがとう、お兄ちゃん。あたし、ずっとのどが渇いてたんだ」

「君は?……」

その時、僕ははじめて、彼女の話しぶりがいつもと違うことに気付きました。
声がなんだか甲高いですし、話し方がまるで
小学校低学年くらいの子供のようなしゃべり方です。

「ごめんなさい。どうしてもお水がほしかったの。
だから、お姉ちゃんにも、ごめんなさいって言っておいてね」

彼女がそう喋った瞬間でした。見間違えではなかったと思います。
痩せた小学校低学年くらいの女の子が、夜景をバックにして
鏡になった部屋のガラス窓に映っていました。
部屋の中を鏡のように映すガラス窓の中には、
編集担当の女性を抱きかかえる僕の背後に、

痩せた女の子が立っていました。

ガラス窓の中で、目があった瞬間でした。

彼女は大きくお辞儀をすると、そのまま消えていってしまいました。
その後、編集担当の彼女は、意識を取り戻しましたが、
自分の言ったことを全く覚えていないといいます。
ただ、自分の中で、誰かが「ごめんね」と
ずっと呼び続けていたような気がすると言います。
その日は、結局仕事はそっちのけで、夕食の後、
そのことについて、二人で話し合いましたが、

なぜ自分たちがこんな現象に遭遇したのか、理由は分かりませんでした。

その日が、昭和20年の米軍による東京大空襲で、

一夜にして10万人以上の方が焼死した日であることを知ったのは、

たまたまつけていたテレビから流れてきたニュースを見た時でした。
太平洋戦争当時、米軍は日本の家屋の多くが
木製であることを知り、都市を焼き払う目的で、

火事を引き起こす特殊な爆弾(焼夷弾)を日本中の都市に投下しました。
昭和20年3月10日は、東京の墨田区・江東区を中心とした区域に
重点的に投下された焼夷弾によって、
一夜にして10万人以上の人が生きたまま焼け死ぬという、
人類史上、例を見ない惨劇が繰り広げられました。
恐らく、僕が見た少女の霊は、米軍の空爆によって亡くなった
少女の霊だったのでしょう。

その場で二人して、お水とお菓子、そしてお酒をそなえ、
少女や亡くなった多くの方の冥福を祈って黙祷を捧げたのは、
言うまでもありません

次へ   メイン
タイトルとURLをコピーしました