関宿藩処刑場跡(納谷の首切塚)

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関宿藩処刑場跡(納谷の首切塚)
関宿藩処刑場跡(納谷の首切塚)
看板より
この地は、江戸時代の処刑場跡と
伝えられています。石碑はもともと
小高い土手の上にありましたが、今では
土手が削られて現在のような形になってしまいました。
石碑には南無妙法蓮華経と刻まれており、
また側面には享和元年(1801)とありますので、
石碑の建立年代はこの時であったと思われます。
しかし処刑場がこの年代に出来たのか、
それ以前にあったのかは、判然としていません。
またこの処刑場に関しては別な話も伝わっていて
実際に処刑したのはここではなく、
もっと西の利根川べりで、ここには
首だけ持ってきて埋葬した場所だという話もあります。
関宿藩処刑場跡(納谷の首切塚)2
江戸時代の刑罰の中で、引き回しは
死罪の中で重いものに付加刑として行われるもので、
獄門・磔・火焙の刑にはだいたい付加刑として
引き回しがつきものでした。
関宿藩処刑場跡(納谷の首切塚)3
図のような、斬首(首切り)の刑には、
下手人から始まり、死罪・獄門・磔・鋸引き・火焙りと
6段階の刑があり、また他に武士だけに
許された切腹もありました。
罪の重さによって決められて行きますが
斬首には変わりありません。
関宿藩処刑場跡(納谷の首切塚)4
南無妙法蓮華経の石碑。
これが処刑場の跡であると言われている。
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側面
関宿藩処刑場跡(納谷の首切塚)6
背面
関宿藩処刑場跡(納谷の首切塚)7
付近には石仏や石碑が点在している。
関宿藩処刑場跡(納谷の首切塚)8
お墓だろうか。
原っぱの中にぽつんとある処刑場跡
立地的には処刑場跡として条件が整っている。
2016年再び訪問しました。
関宿藩処刑場跡(納谷の首切塚)9
周囲の田園風景は変わらず。
民家が増えた気がします。
関宿藩処刑場跡(納谷の首切塚)10
草がだいぶ増えていました。
関宿藩処刑場跡(納谷の首切塚)の動画はこちら

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