下部田山処刑場跡

心霊スポット

下部田山処刑場跡1
神明神社
昔は田川神社とも言ったようである。
ここに下部田山処刑場跡で処刑された
池田三郎左衛門の碑がある。
下部田山処刑場跡2
慶長14年(1609)小川新九郎という代官が年貢を増やすために
強引な措置を行った。
名主であった池田三郎左衛門は江戸に上がって幕府に直訴。
三年後幕府の調査で代官の悪政が明らかになり、代官は遠島。
池田三郎左衛門は強訴の罪で土地を没収の上、
下部田山処刑場で処刑された。
下部田山処刑場跡3
田川十三堂。
ここは池田三郎左衛門の供養の為建立された。
下部田山処刑場跡4
この田川十三堂から、下部田山処刑場跡がある場所が見える。
田川十三堂で地元の方に行き方を聞いてみたところ、
ここからの道はだいぶ前に藪で埋まってしまって行けないという。
処刑場跡に行く道は遠回りして入らなければならないという。
下部田山処刑場跡5
遠回りして山中へ。
そこに二基の石碑があった。
これが池田三郎左衛門の墓碑であると共に
下部田山処刑場の場所がここであるということを示している。
下部田山処刑場跡6
この梵字のついた石碑が昔からある
池田三郎左衛門の墓碑と思われる。
実は死罪は間違いであったと後に発覚し、
幕府の使いが来たようだがすでに処刑された跡であったという。
通常なら罪人の墓碑の建立など認められないのだが、
存在する理由にはそういうこともあるものと思われる。
下部田山処刑場跡7
慶長16年11月15日俗名池田三郎左衛門は23才にして
田川村17軒の代わりに死す
昭和49年3月田川部落民合意により再建
破刧院蓮翁道地居士位
昭和48年7月東京電力株式会社鉄塔敷地
として270坪余を賃貸契約を結んだため
古墳の一つを発掘整地し此の場所に併せ祀る


千葉県心霊スポット

タイトルとURLをコピーしました