加賀一向一揆慰霊碑

心霊スポット

加賀一向一揆慰霊碑1
鎮魂 加賀一向一揆
    山ノ内門徒衆 之霊
ここは加賀一向一揆でも象徴的な場所である、
二曲城のそばにある慰霊碑郡である。
織田信長に抵抗を続け、最終的には敗れてしまった。
一向宗門徒三百人が磔になったという。
加賀一向一揆慰霊碑2
任誓之碑
加賀一向一揆慰霊碑3
南無阿弥陀仏の念仏碑
加賀一向一揆慰霊碑4
怨讐を越えて鎮まり給え

国指定史跡 二曲(ふとげ)城跡
当城跡は、鳥越城跡とともに織田信長の攻勢に
最後まで抵抗した、白山麓の一向一揆の拠点となった
城跡である。
二曲の地は、白山麓門徒の指導者であった鈴木(二曲)氏の
本拠で、本来、この城跡は、山麓の通称「殿様屋敷」の
館に居住した、同氏の砦であった。
城跡は鳥越城跡かた大日川の対岸に相対する標高267メートルの
独立峰上に築かれており、山頂は平垣に削平されていて、
屋根上に腰郭と空堀の遺構が確認できる。
天正8年(1580)11月、鳥越城跡とともに落城するが、
山内衆の抵抗はこれをもって終わらなかった。
『信長公記』によれば、翌天正9年(1581)2月、
加州一揆が蜂起して「ふとうげ」に入置かれた柴田勝家の
人数300人を悉く討ち果たしたとある。
しかしこれも、織田方の佐久間盛正によって鎮圧された。
翌天正10年、一揆衆は再度鳥越・二曲両城を奪還するが、
同年3月、生捕者300余人の磔により終息する。
二曲城跡は鳥越城跡とともに加賀一向一揆の最後の砦となった
歴史の舞台としての意義をもつことから、史跡に指定され、
保存が図られている。
加賀一向一揆慰霊碑5
嗚呼田原中隊
賞詞
4月15日黒流渡付近ニ於ケル騎兵第25兵隊
田原中隊ノ奮戦ハ友軍ノ危急ヲ救ハント
決意シ堅固ナル陣地ニ據ル極メテ衆多ナル
敵ヲ力攻シ寡兵克ク飽ク迄突撃ヲ敢行シ終二
中隊長以下全員4周ノ敵中ニ悲壮ナル戦死ヲ
遂ケタルモノエシテ皇軍ノ精華トシテ感激ノ
至リナリ又同兵隊長カ機ヲ失セス部下兵隊ヲ
挙ケテ奮戦健斗田原中隊ノ仇敵ヲ撃破シ全員ノ
遺骸ヲ牧メ具ニ中隊長ヲ核心トスル壮烈徒容タル
最後ヲ明カニセルハ田原中隊長以下ノ英霊以テ
瞑スヘク兵隊方面上下ノ団結ヲ如眞ニ顯現セルモノト
謂フヘシ

石川県心霊スポット

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