嵐山の廃墟

心霊スポット


沖縄の嵐山に一家惨殺があった廃屋が
実際に存在する…。
これは私の元には約20年前にも
寄せられていた情報でした。
そして近年この廃屋について、住所情報が
もたらされました。
嵐山の廃墟
とんでもない藪の奥にその廃墟はありました。
いまとなっては近くを通りかかってもわからないでしょう。
ハブがいてもおかしくない…足を踏み外して転落しても
おかしくない…実際に転落は何度がしかけました。
地図に載らない池もあり、危ないです。
嵐山の廃墟2
藪の中には廃墟の遺留物と思われる
瓶が落ちていました。
嵐山の廃墟3
廃墟はところどころ壁も崩れ、内部があらわとなっています。
嵐山の廃墟4
入り口近くのトイレ。
小便器用と大便器用に別れています。
水洗でもないことからかなり古いものと推察されます。
嵐山の廃墟5
中は荒れ放題。何も残っていません。
ブロックと木材で作られた家だったようです。
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床はところどころ抜けて危険な状態。
抜けた床のなかにハブがいても…おかしくない状況です。
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屋根も瓦はほとんど載っているだけの状態。
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こちらは台所だったのでしょうか。
嵐山の廃墟9
部屋がしっかり仕切られていれば
3、4部屋あったかもしれません。
押入れなどが残っています。
嵐山の廃墟10
天井は天井板が落ちて梁がむき出しです。
年月がかなり感じられます。
嵐山の廃墟11
廃墟の奥に有ったコンクリートの建物。
入り口はありませんでした。台所も近く、
おそらくは雨水タンクと思われました。
実はこれが重要なキーとなりました。
疑問はここで一体何があったのか?
一家惨殺はあったのか、単なる噂なのか…
調べると以下の新聞が出てきました。
不思議な事にこれほど大きな事件で
朝日・読売・毎日では発見できず、
結局琉球新報で発見しました。
事件名は「嵐山一家殺傷事件」
嵐山の廃墟12
※被害者の写真はモザイク処理をしています
琉球新報の記事内容を数日分取り寄せたため、
まとめて記入します。
事件は1973年3月30日早朝3時に起こりました。
3月26日からこの家に滞在していた
元タクシー運転手の大城秀男は
妻(Aさんの三女、当時25歳)と大阪で
水商売をしようと訪れている際に
妻が行方不明となりました。
大城は妻が実家に帰ったに違いないと妻の実家がある
嵐山の山小屋に転がり込みました。
この際家財道具も運びこみ、それに刃物を隠していたとあります。
(大城が滞在していた西側の部屋の額縁の裏に隠してあった)
山小屋はパイナップル畑を経営している当時55歳のAさんの家で
畑の中の丘のにある山小屋の付近には何もなく、
水道・電気がなかったため、水道は雨水を使用し、
電気は自家発電機を使用。
通学に不便だったため学生だったAさんの娘二人は
名護市内に部屋を借りて住んでいました。
3月29日夜、家には大城秀男、
Aさん(当時55歳)、Aさんの妻Bさん(当時45歳)、
Aさんの長男Cさん(当時19歳)がおり、口論もなく就寝。
夜中の3時にCさんの叫び声でAさん夫妻は目が覚め、
Bさんが確認しに行くと大城秀男が長男を刺し殺しており、
続いてBさんを刺し殺しました。
「妻が逃げた、おまえらが隠しているんだろう。すぐに出せ」
Aさんも確認に来るとAさんもメッタ刺しにして、車を置いたまま逃走。
Aさんはなんとか命を取り留め、近くの農道まで移動し
畑作業している住民を呼び止め事件が発覚。
この時に「むこに刺された」と答えたという。
Aさんは全治2ヶ月の重傷。
Aさんは入院中に取材に答え、大城秀男の妻である
娘の身を案じて事件の早期解決を切望していました。
凶器となった包丁は背中を貫通し、刃先が折れるほどで
強い殺意が伺われました。
警察は大城秀男の車が山小屋に放置されていたことから
嵐山の中に潜伏している可能性があると山狩りと
逃走用に車を用意している可能性もあり検問を開始。
名護市内で目撃情報が寄せられ4月2日、
名護市内の空き家で眠っているところを近所の
子どもに発見され、連絡をうけた住民に取り押さえられました。
警察からの簡単な聴取に大城秀男であることを認めたため逮捕。
山中をまわって逃げ疲れ、抵抗することはなかったという。
逮捕後はAさんに土下座をして謝りたいと供述。
両親がいなくなった妻を隠していると思ってた
大城秀男は一家惨殺を計画。
Aさんの長女によると大城秀男は酔うと妻に暴力をふるい、
たびたび事件の現場になった妻の実家に怒鳴り込んでいた。
別れ話が出ると一家を全滅させてやると発言していたという。
ガソリンの入った缶も二つ山小屋の近くに用意していた。
殺された長男は九州の大学に
入学が決まっていた矢先であった。
1974年3月那覇地裁での死刑判決、
福岡高裁那覇支部は1976年1月に控訴を棄却。
1977年4月26日最高裁判所は一、二審判決を支持し
上告を棄却、大城秀男の死刑が確定した。
1980年12月16日死刑執行
この事件現場とこの廃墟が同一かどうかですが、
新聞に載った地図と住所(現在の地名とは不一致)を
みると同一のように思われる。
また、雨水タンクの特徴、丘の上の特徴も一致する。

●沖縄の北部に嵐山というところがあり
近くに空き地が存在する
そこにぽつんと一軒屋があるのだが、そこで
おぞましい一家惨殺事件があった(実話)
犯人は家族の一人なのだが、
気が狂ってやったそうです
その家には朝ご飯の支度をしたまま放置され
だれも買い手がつかないそうです。
県警の方から聞いたのですが、
今でも茶碗とかがテーブルの上に置かれていて
不気味だったと言ってました。
夜な夜な電気が止められている家に
明かりがつくそうな・・・・。
沖縄県心霊スポット

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