日出藩成敗所跡

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日出藩成敗所跡
日出藩成敗所跡
加賀山半左衛門 殉教の地
殉教の日:1619年10月15日(和暦 元和5年9月8日)
殉教者:日出藩家老 加賀山半左衛門(洗礼名 ヴァルタザール・享年47)
その子 ヂャコモ(洗礼名 ディエゴ・享年4才)
慶長17年(1612年)、徳川幕府はキリスト教の禁令を発布した。
当時、家老職にあった加賀山半左衛門は、
再三改宗を迫られたが受け入れずに家老職を追放され
死刑宣告を受けた。
執行の当日、刑吏に伴われ家を出ようとする父の前に、
息子ヂャコモは身を投げ出し、
父とともに殉教したいと泣き叫んだ。
彼は息子の決心の堅いことを知り共に行くことを許し、
父と子は別々の道を歩かされこの地へ引かれた。
半左衛門の死刑が先に執行され、のちに子の死刑が行われた(日出町史)
以後、明治時代に至る約260年の間、日本ではキリシタンは長い
受難の時代を迎え、激しい弾圧の中を生きねばならなかった。
半左衛門とその子ヂャコモは、ここ日出藩の成敗場で殉教したと伝えられている。
日出藩成敗所跡2
ちなみに珍しく「南無妙法蓮華経」のヒゲ題目ではないようだ。
日出藩成敗所跡3
日出藩成敗場跡地
日出藩の罪人処刑場跡地で、11代藩主 木下俊懋が、
藩主の菩提寺である松屋寺住職大蓮和尚に命じて
慰霊のために建立した供養塔である。
この塔は寛政11年(1799)に建てられた
総高さ2.5メートルに及ぶ大きなもので、
正面に「大乗妙典石書塔」と筆太に陰刻されている。
裏面と左右両面に罪人の冥福を祈るため、
一字一石の法華経を石塔に納めるむね書かれている。
清浄な川石に、法華経経文を一字ずつ写したものを
埋納している。
日出藩成敗所跡4
大乗妙典石書塔
藩主の菩提寺が法華経だったので
供養塔もこのような形になったようだ。

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