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赤坂処刑場跡
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赤坂処刑場跡

赤坂処刑場跡
赤坂処刑場跡
墓地の一角にあります。
墓地入り口にあったこの念仏碑(南無阿弥陀仏)は
正徳の時代のもの(1700年代)

赤坂処刑場跡2
墓地の奥地にその石碑はあります。

赤坂処刑場跡3
南無妙法蓮華経のヒゲ題目。
処刑場跡によく建てられる慰霊碑です。

赤坂処刑場跡4
そしてその向かい、「赤坂刑場跡」の碑。
側面にはこう彫られている。

徳川幕府赤坂代官所ノ刑場慶安ノ頃創設
稲武町野入義民三三河農民第一揆首導者等
幾多処刑埋葬明治三年廃止
昭和五十三年郷土史家 白井一二

赤坂処刑場跡5
赤坂刑場跡
赤坂代官所の刑場で慶安の頃創設、数百人を処刑
明治2年7月4日 3人の処刑を最後に廃止
天保の大一揆による三河農民大一揆、甲斐農民大一揆、
大阪の大塩平八郎乱の三大一揆を水戸藩主徳川斉昭が
将軍家斉に提出した建白書を老中水野忠邦による
天保改革の要因をなした三河農民大一揆は、
天保7年9月21日数年来凶作相続き露命つなぎかね
蔵米等の払い下げを要求し加茂郡下河内村松平辰蔵九久平仙吉ら
80人が蜂起し二百七ヶ村一万五千人に拡大、赤坂代官
平岡熊太郎は岡崎藩誉母藩に鎮圧を要請
両藩の鉄砲隊に射殺された廣瀬村の佐右エ門らの
死傷者を出し農民を捕えたが、赤坂大日牢に
収容できず仮牢屋を造り首謀者らを授獄、江戸勘定留役
沼田久左エ門、松井勘右エ門の応援を求め取調中、九久平村の
?喜、北川向村の仙蔵、松平村の柳助、栃本村藤兵エは苛酷な
拷問に耐へず哀れにも天保8年3月8日早朝牢番の隙をみて
首を括って牢死、刑場に埋葬された。翌日9日松平辰蔵、仙吉、
市野田村の円左衛門川見村の金九エ門は物陰から肉親の
贈る中唐丸篭で江戸送り処刑前の天保9年4月8日江戸小伝馬牢内で
獄死、同月26日より赤坂代官は、追放、手鎖、入墨、過料に、
12366人を処罰、三河最大の農民一揆は1年9ヶ月をへて終了。
赤坂刑場の南無妙法蓮華経の碑に一揆関係者が天保14年卯秋に
建立した悲願の供養塔である。
昔へに埋もれし霊をかへり見て
時の流れぞ哀れとぞ思ふ

赤坂処刑場跡6
ちなみに墓地でも無縁墓地の奥にあります。
かつてはこの墓場を中心に一帯が処刑場跡では
なかったのだろうかと考えると
「時の流れぞ哀れとぞ思ふ」の部分が印象に残りました。


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