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人柱伝説 お糸地蔵尊
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人柱伝説 お糸地蔵尊

人柱伝説 お糸地蔵尊
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お糸地蔵尊由来

呼野の里にはお糸にまつわる哀話がある。それは二百数十年来伝唱されお糸が碑の粉池の堤の
人柱になった旧暦7月24日(現在は8月)には大泉寺に於て
盛大なお糸祭りが行われ彼女の霊を慰めている。
昔から呼野小森地区の農家にとってかんがい用水の不足は深刻で殊に日照が続いた年
不作のため人々は食に困り碑の粉団子を作って僅かに糊口をしのいだとも言う
今満々と水をたたえている碑の粉池は冷井川をせき止めて築造され人夫約2000人を要する難工事であった。
困った事に堤防は度々決壊した。
少女お糸は自ら進んで人柱を申し出て尊い犠牲となり(即身成仏)享保3年(1718年)堤防は完成したという。
当時お糸は14才父は早く没し母娘二人暮しであった如何に昔とは言え哀れな物語りである。
以上は口伝口碑に基くものであるが呼石、観音ベラ、の地名お寺の縁起書や例年の行事などを通じて
当時を偲ぶことが出来る。
お糸がいよいよ土をかけられる時母は泣き崩れ真向の豊前坊の上より娘の名を呼んだ所が呼石、
娘の死後母は堂にこもってその冥福を祈ったところが観音ベラ、
そして里人はお糸地蔵尊として尊崇し8月24日、盛大なお糸祭りを営むに至った。
近年お糸祭りは呼野町内挙つてお糸会、ぎんなん会、婦人会、子供会の協力により執行されるようになり
童話作家阿南哲朗氏によってお糸地蔵音頭を作詞されその踊りがお糸祭りの際子供達によって披露され
昭和58年お糸地蔵物語(溝口連著)が発刊された年にNHKにより郷土民話お糸地蔵として全国的に紹介され
平成元年12月270年祭を実施した。
以上
平成9年 夏日 作製
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人柱伝説 お糸地蔵尊2
大泉寺境内の一角にあるお糸さん両親のお墓。


人柱伝説 お糸地蔵尊3
大泉寺から少し離れた場所にあるお糸地蔵。
ここでお糸の母は冥福を祈った。
(当日隣の道路が工事中だった)



人柱伝説 お糸地蔵尊4
お糸が人柱となった碑の粉池。
石碑はお糸さんの墓である。


人柱伝説 お糸地蔵尊5
写真では少しわかりづらいかもしれないが、非常に池の水が澄んでいる。
左側の岩には鳥居があり、右側の島には祠があった。


人柱伝説 お糸地蔵尊6
池の真向の豊前坊。
この山からお糸さんの母はお糸さんの名前を呼びつづけた。


全国に残る「人柱伝説」。
中でもこのお糸さんはゆかりの場所・物が残る珍しい例の一つとされる。
「人柱を立てる」とは橋など難工事の際によく行われた、
神様へのいけにえのような儀式であった。
たいていが生きたまま埋められる。
全国各地よく調べると人柱を立てたという個所はあるが、
ほとんどが風化してしまっているのが実情である。
人柱はそのほとんどが「10代の女性」である。
全国の人柱伝説は本人からの申し出か、
人柱を立てようと言い出した人がなった例が多い。

実際には生贄的に半ば強引に行われたものも、
後になって美談にしたのではないだろうか…。

現在でもダム建設などの際、事故などで犠牲になった人のことを
「人柱になった」と言うことがある。


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