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宗像騒動
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宗像騒動

宗像騒動
宗像大社

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元々神職にあった宗像氏は力をつけ、武士としての地位を確立しました。
宗像氏七十八代の氏男には後継ぎが生まれず、七十九代を巡ってお家騒動が勃発しました。
七十七代正氏と陶晴賢(山口県の豪族)の姪(照葉)の子、
鍋寿丸(氏貞)
七十六代氏続と側女(お弁)の子、
千代松
七十七代正氏の正室(山田ノ局)の子(菊姫)に婿養子を迎え七十九代とする、など
宗像家は大いに乱れました。
陶晴賢は氏貞を宮司とするため、氏続、千代松、お弁、山田ノ局、菊姫とその侍女(四人)を殺害しました。
その後、氏貞側についた者は祟りに悩まされました。
氏貞は崇りをおさめるため山田地蔵尊、円通院など多くの寺社を建立しましたが、
氏貞には男児に恵まれず、宗像大宮司家は断絶しました。

宗像騒動系図


宗像騒動2
山田地蔵尊 増福禅院


宗像騒動3
山田ノ局と菊姫、侍女四人の墓。

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増福院は、天文末年ころ(1550年代)、
宗像大宮宮司貞が開基となり、その家臣によって
殺された先代氏男の妻菊姫と、その母及び侍女四人の怨霊を鎮めるために、
田島村(玄海町)の医王院掌蘭和尚を開山に招いて創建した曹洞宗のお寺である。
そして五点七巻の増福院文書には、同寺固有のものと、
ここに寄進されたものがあるが、寄進されたものでも、添書や箱書によってその経緯は明白である。
さらにその内容は怨霊憚にまつわる増福院創建の由緒や、
同寺に対する信仰、そして宗像大宮司家の内紛といった
問題まで、中世末期の宗像を知るためのかけがえのない資料である。

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宗像騒動4
円通院


宗像騒動5
千代松とお弁の墓

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宗像お家騒動と円通院

宗像神社の宮司をつとめていた宗像家の七十八代目氏男にはあと継ぎの子供がいませんでした。
地元の人達は話合って76代目宮司の氏続と側女お弁との間に
生まれたばかりの千代松を後継ぎとすることに決めました。
氏続は氏男の実の父親です。
ところがその頃、宗像の実権を握っていた山口県の豪族
陶晴賢が自分の姪と77代目の宮司正氏との間に生まれた氏貞を79代目の宮司に一方的に任命し、
同時に宗像一族の皆殺しを計りました。
やっとよちよち歩きを始めた千代松は母お弁の背中におんぶされて山奥のこの畑の谷に逃げ込んだのですが、
疲れきった母がころんだはずみに千代松が泣き出し、その泣声で追ってきた陶の家来に見つかり、
親子抱き合ったまま殺されてしまったということです。
後継ぎとなった氏貞は崇りを恐れて千代松とお弁の二人をまつるために円通院を建てました。
二人が殺されたのは1553年、天文22年3月24日、今から440年程昔のことです


若宮町観光協会
若宮町文化財保存委員会
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宗像騒動6
円通院の墓場で奇妙なお地蔵様がありました。
お地蔵様は何故か巨木に向かって置かれていました。



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