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岡城跡
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岡城跡


岡城跡
岡垣町指定文化財
「岡城」のこと

ここは岡垣町で唯一、中世城郭の跡をとどめる岡城跡です。
岡城は、まだ戦国時代たけなわの文明年間(1469〜1487年)の終わり頃に、
この地の領主だった麻生家延によって築城されたものです。
麻生氏は下野国(現在の栃木県)宇都宮の出で、鎌倉幕府発足の頃、
源氏勢力の一翼で九州にきた鎌倉武士の一人です。
麻生氏はその後、北条氏の御家人から室町時代には
筑前守護職大内氏に属して、
遠賀川の河口一帯を支配する大きな勢力になりました。
文明10年(1478年)、麻生氏の跡取りを巡る内紛で、
大内氏が大軍で攻め寄せる
「花尾城合戦」が起こりました。
この結果、それまで惣領として麻生氏を束ねていた麻生家延が敗れ、
その和睦の条件で遠賀川にしの岡ノ庄二八ヶ村が家延に与えられ、
家延はこの吉木の地を選んで城を築きました。
これが「岡城」で別名を「腰山城」とも言われました。
家延から3代目の麻生隆守のとき、
岡城は豊前の大友勢に侵攻され(永禄五=1562年以降)落城、
隆守は自刃して吉木麻生氏は絶えました。
城跡は、麻生隆守の菩提を弔って建立された「隆守院」の境内域になっていて、
地元の吉木の人びとによって今日まで手厚く保護されてきました。
この城跡は、南東に汐入川を配した小丘陵で、
最も高い本丸跡の標高は40メートルしかなく、
南東面は急斜面で守られ、
北東面に二の丸・三の丸を梯郭式に配置した典型的な山城です。
本丸跡は、南北35メートル×東西15メートルの平坦地で、
東側に一段下った所にある南北15メートル×東西8メートルの平地が二の丸です。
二の丸から北東に4メートル下に、幅7メートルほどの三の丸が巡らされています。
石垣は用いられず、岩質の山肌がそのまま城構えに利用されています。
城の表口は本丸の北西山麓で、城主の屋敷跡を示す「門田」地名が現在も残っています。

※「花尾城」は八幡西区元城町の上にある花尾山
(標高348メートル)にあった山城です。

平成8年10月10日
岡城築城500年記念事業実行委員会

岡城跡2
岡城跡を上り、本丸跡を少し下りると「二の丸跡」に出ました。

岡城跡3
中心にある石碑(写真右端)を囲むように
お地蔵さん(仏様?)が並んでいます。
なぜかスピーカーも落ちてます。

岡城跡4
麻生氏の菩提寺の開祖でしょうか?
麻生氏の菩提を弔ったものなのになぜ二の丸にあるんでしょうか・・・。
菩提を弔った意味でお地蔵さんを円陣を組むように配置したのなら、
やはり何かの供養のために置かれたのでしょうか。



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