心霊スポット朱い塚-あかいつか-

風神鎮塚

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風神鎮塚

風神鎮塚1
国道197号線沿いにある塚。
わかりにくくて一回通り過ぎてしまいました…
国道から見るとこんな感じ。
少し小高い場所にあります。

風神鎮塚2
197号線拡張工事の際に塚を崩したところ、
ショベルカーが故障して動かなくなったという。
四国版平将門の首塚といった感じでしょうか。

風神鎮塚3
原因不明の時化(しけ、暴風雨)があるとして
風神鎮塚として祭っている。

風神鎮塚4
風神塚
この塚は中平善之進穏敦の供養塚である。
善之進は、宝永6年(1709)北川村の庄屋上岡吉右衛門の
長男として生まれた。15歳で庄屋の代勤をする程の利発者であった
元文3年(1738)檮原村の庄屋中平弥左衛門定経の養子となり
庄屋の職を継いだ。
その頃土佐藩は財政が苦しく、国産方を置き国産品(茶や楮など)を
専売して利益を得ようとした。
津野山郷の御用商人は蔵屋左衛門という貪欲非道の者で
専売権を悪用して私腹を肥やすことに終始したため
百姓は日に日に貧乏になった。
善之進はこの様を見るに忍びなく、
津野山九ヶ村の庄屋を集め協議をし、藩に対し
百姓の現状を訴え貢物の減免と国産方の配置替えを嘆願したが
藩はこの訴えを取り上げないのみか、
このことを不当として弾圧さえ加えようとした。
こうして起こったのが津野山騒動で、善之進は張本人として
捕えられ牢に入れられた。
善之進が牢内より蔵屋の非道を強く申立てたことにより
蔵屋と対決させられることになったが、
蔵屋は善之進の鋭鋒に罪を逃れがたいことを悟り
自殺してしまう。
その結果百姓たちは無罪、老名本はお叱りおき、
庄屋は取締不行き届きのかどで役儀を取り上げられ藩外に追放された。
総責任者であった善之進は、宝暦7年(1757)7月26日
檮原町神在居長野駄馬にいて打首の刑に処せられた。
藩庁は善之進のこれまでの徳政を知り、
考えをあらため善之進を助けんと急使を走らせたが時既に遅く、
神根越まできたとき斬首された。
その時大時化となり濁流で谷川を渡ることができず
使者は引き返したという。
この大時化は七日七晩荒れ狂い世間では善之進時化といった。
明治19年(1886)の大時化も彼の霊の祟りであるとして翌20年
津野山郷の人々が集って供養し、その後10年に1回
東津野、檮原両町村合同で祭典を行っていた。
最近では4年に1回盛大な供養祭が行われている。

風神鎮塚5
向かいにある義庄中平善之進銅像



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