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六角獄舎跡

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六角獄舎跡

京都市の住宅街の一部にぽつんとある石碑。
ここが昔、京都所司代の管理、六角牢屋敷とも呼ばれた
六角獄舎があった場所である。

六角獄舎跡
右が日本近代医学発祥之碑
左が勤王志士平野國臣外数十名終焉之

六角獄舎跡2
さらに石碑が並ぶ。

平野国臣殉難の地
幕末尊王攘夷派の指導者平野國臣が処刑された所である。
この地はもと「六角獄舎」があったところで
安政の大獄以後は多くの政治犯が収容されたので
会所ともいった。
國臣はもと福岡藩士で、尊王攘夷運動に参加して
脱藩し、生野の乱に挙兵して捕えられ元治元年(1864)
1月17日ここに収容された。
ところが同年7月19日長州藩兵の入京に端を発した
金門の変(蛤御門の変)によって、京都市中の大半が
兵火に見舞われその翌日火勢が「六角獄舎」に迫るや、
幕吏は獄中の尊王攘夷派の志士たちを斬った。
この時斬られた一人が國臣である。この難にあったものは、
國臣のほか、古高俊太郎、長尾郁三郎、水郷善之祐ら
三十数名にのぼった。
なお、当地は、宝暦4年(1754)に医師山脇東洋が
わが国で初めて死体解剖を行った所とも言われ、
付近には記念碑も建っている。

六角獄舎跡3
殉難勤王志士忠霊塔
ここで処刑された江戸時代末期の勤王志士の
慰霊碑である。

六角獄舎跡4
日本近代医学のあけぼの
山脇東洋観臓之地

近代医学のあけぼの 観臓の記念に
1754年 宝暦4年閏2月7日に山脇東洋
(名は尚徳 1705-1762)は
所司代の官許をえて、この地で日本最初の
人体解屍観臓をおこなった。
江戸の杉田玄白らの観臓に先立つこと17年前であった。
この記録は5年後に「蔵志」としてまとめられた。
これが実証的な科学精神を医学にとり入れた
成果のはじめで、日本の近代医学がこれから
めばえるきっかけとなった東洋のこの偉業を
たたえるとともに観臓された屈嘉の霊を
なぐさめるためここに碑をたてて記念とする


ここで勾留されていた平野国臣ら33名は
火事に乗じて処刑された。
西の処刑場(西の京処刑場)
送られ、秘密裡に埋葬された、とある。


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