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鈴ヶ森処刑場跡


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鈴ヶ森処刑場跡

鈴ヶ森処刑場跡1
寛政11年(1799)の大井村「村方明細書上」の写によると、
慶安4年(1651)に開設された御仕置場で、東海道に面しており、
規模は元禄8年(1695)に実施された検地では、
間口40間(74m)、奥行9間(16.2m)であったという。
歌舞伎の舞台でおなじみのひげ題目を刻んだ石碑は、
元禄6年(1693)池上本門寺日の記した題目供養碑で、
処刑者の供養のために建てられたものである。
大経寺境内には、火あぶりやはりつけに使用したという岩石が残っている。
ここで処刑された者のうち、丸橋忠弥、天一坊、白井権八、
八百屋お七、白木屋お駒などは演劇などによってよく知られている。
江戸刑制史上、小塚原とともに重要な遺跡である。

鈴ヶ森処刑場跡2
首洗いの井戸

鈴ヶ森処刑場跡3
磔台
丸橋忠弥を初め罪人が
この台の上で処刑されt
真中の穴に丈余の角柱が
立てられその上部に縛り
つけて刺殺したのである

鈴ヶ森処刑場跡4
火炙台
八百屋お七を初め火炙の
処刑者は皆この石の上で
生きたまま焼き殺された
真中の穴に鉄柱を立て
足下に蒔をつみ縛りつけて
処刑されたのである


数年ぶりにまた鈴ヶ森処刑場跡を訪れた。
数年前とは違い、様々な資料を読んでいるので
今回の調査は感慨深いものとなった。

鈴ヶ森処刑場跡5
写真中央やや右の林が鈴ヶ森処刑場跡である。
国道に面している。
江戸時代は東海道に面しており、すぐそばは海であった。

鈴ヶ森処刑場跡6
東京都史蹟 鈴ヶ森刑場遺跡

鈴ヶ森処刑場跡7
こちらが南無妙法蓮華経のヒゲ題目。
左奥には鈴ヶ森刑場受刑者之墓とある。
無縁供養塔も並ぶ。

鈴ヶ森処刑場跡8
磔台と火炙台
磔(はりつけ)とは受刑者を木に縛り付け、下からヤリで刺す。
火炙(ひあぶり)とは受刑者を木に縛り付け、木をくべて火あぶりにする。

鈴ヶ森処刑場跡12
見ると石は割と厚みがある。
しかし大分県の浄明寺川原処刑場跡の磔台に比べるとかなり小さい

鈴ヶ森処刑場跡9
鈴森山 大経寺(すずもりやま だいきょうじ)
江戸時代の地図によれば、このお寺の敷地も
鈴ヶ森処刑場跡の敷地である。

鈴ヶ森処刑場跡10
ここで異彩を放っているのは首洗の井である。
小伝馬の牢屋敷の首切り場で斬首した首は
ここ鈴ヶ森処刑場や小塚原処刑場に運ばれて晒された。
晒す前に血だらけの首を洗ったのがこの井戸である。
なお、晒された首は付近に打ち捨てとなっている。
なので、小塚原処刑場跡に関してもいえるが、
処刑場周辺の地層には人骨の層があったという目撃談もある。


鈴ヶ森処刑場跡11
中にはまだ水があるようである。

鈴ヶ森処刑場跡13
小型のヒゲ題目が残されていた。

鈴ヶ森処刑場跡14
こちらが首切り地蔵であろうか。

鈴ヶ森処刑場跡15
実は鈴ヶ森処刑場では、キリシタンの処刑も行われていた。
記録では品川沖に水磔にしたとある。
鈴ヶ森処刑場跡のそばの品川の海で刑を執行したようだ。
水磔(みずはりつけ)とは受刑者を木に逆さに縛り付け、
海の干潮時に干潟に設置されて満潮になると海の水で
溺死させるという刑であった。
江戸時代の刑罰に水磔は正式にはないが、キリシタンに対しては
見せしめのために特に残酷な処刑方法が取られた。
水磔は戦国時代にも行われていた。
現在の品川区民公園辺りが水磔の場所ではないかと推察される。


鈴ヶ森処刑場はかつて、一本の老松があったことから
「一本松処刑場」とも言われた。
江戸時代の地図を見ると「鈴ヶ森獄門場」とある。
この鈴ヶ森処刑場跡の付近には昭和頃までドクロが200個程納められた
洞窟が残っていたという。しかし、土地開発で失われたらしい。


鈴ヶ森処刑場跡動画1はこちら
鈴ヶ森処刑場跡動画2はこちら

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