宮崎県日南市大字宮浦3232
創建は、第十代崇神天皇の御代と伝えられ、その後第五十代桓武天皇の延暦元年には、
天台宗の僧と伝える光喜坊快久が、勅命によって当山初代別当となり、神殿を再興し、
同時に寺院を建立して、勅号を「鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺」と賜った。
また宗派が真言宗に移ったこともあり、洞内本宮の外、本堂には六観音を安置し、
一時は西の高野とうたわれ、両部神道の一大道場として、盛観を極めていた。
そして明治維新とともに、権現号・寺院を廃して鵜戸神社となり、
後に官幣大社鵜戸神宮にご昇格された。
明治を130余年経過した今日、全国津々浦々から、
日本民族の祖神誕生の聖地を訪れる参拝者は、四時絶えることなく続いている。
鵜戸神宮ホームページより