昭和42年の大干ばつを契機に
昭和46年に工事に着工
昭和53年に完成
来るまでの道が狭くて…
そして人もいない。
隣に公園があった。
大森彦七史跡碑
大森彦七は、南北朝の争乱期における
伊予の豪族である。太平記によれば建武3年、
足利尊氏に従い兵庫湊川の合戦で手痛く軍をし
楠正成に腹を切せし者なりと紹介されている
正面にそびえる世梨山は城山とも呼ばれ
彦七の長年拠った千里城がこの山の頂きに
あった。
平安末期より河野氏、元弘の頃より大森彦七の
拠ったこの山城も近世以降の政治変化で
廃虚と化し、今は城隍を残すのみである。
城山を仰ぐこの地に公園を開設するにあたり、
その往時を偲びここに史跡碑を建立する。
公園内には若宮神社も。
それにしてもひと気がない…。
銚子ダムの心霊逸話は一説にはこの山城関連とも
言われていますが…。