福岡県浮羽郡田主丸町
石垣山観音寺(天台宗)
菊川春暁住職
相当前に住職にお会いできまして、その時に
「基本的に一般公開はしていない」といわれ、
もうすぐ公開する行事があるのでその時に一般公開するとの事で
一般公開の日まで待ちました。
その時にご住職は大変ご多忙な方で一般公開は次回で最後にしたいと言われました。
ということで最後の一般公開での写真です。
※ご住職ご自身も非常に位が高く、一般の方は結構お会いできないそうです。
(私は二度も会ってしまいました・・・しかも1回目は偶然)
「牛鬼の手のミイラは一般公開されていません。
この写真は特別に許可を頂いて撮影したものです」
ミイラはとても古く、触ると崩れてしまいます。
親指はすでにありませんでした。
大きさは約17cm。
この牛鬼の手のミイラについて、ご住職から頂いた資料から
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「ゴ~ン、ゴ~ン・・・」
と突鳴らす鐘の音に和尚さんは驚いて目を覚ました。
「はてな、誰がつくのであろう。」
和尚さんは温かい寝床を離れて、そっと鐘突堂に忍び寄って行きました。
時は康平5年(1060年頃)の真夜中の事です。
霜は凍る下弦の月は動こうともせず、ほの白く沈んだ闇が空しく水縄の山裾に
腹這うているばかりで、他には何者の姿も見えませんでした。
「不思議だな」
和尚さんはそうつぶや乍ら、杉並木の石段を、観音堂の彼方へ帰って行きました。
然し、この不思議な出来事は、来る夜も来る夜も続けられるのみか、
果ては罪もない地方婦女(地元の若い女性)が、怪物の為にさらわれるという
椿事(事件)までも繰り返される様になりました。
「よしさらば、御仏の御霊光にかけても。」
と、ついに意を決した和尚さんは、きっと其のものの正体をつきとめるべく、
その夜早くから木陰に身をひそめて、時の到るを待っていました。
呪いになくフクロウの声がうっそうたる霊城の森にこだまして
山麓の夜は次第に更け渡ってゆきます。
おおそこに、風の如く、忽然として現れ出でた怪物は、何と顔は牛、体は鬼、
誠にいおうな様もなく、物凄いものでした。
然し、和尚さんは泰然自若として経文を読みつづけるのでした。
ところがどうでしょう。
心魂を徹して念ずる御仏の功徳によってか、流石の牛鬼も次第に
神通力を失い、やがては五体の自由さえも失ってしまったのです。
そして、夜のほのぼのと明け放れる頃、急を聞いて駈け集まった村人等の手によって、
怪物の首は都へ送られ、手は寺に残されることになりました。
牛鬼の手と称し、今に同寺に保存されているのがこれです。
尚、その耳が裏山に納められた所から、その山を名づけて耳納山(みのうやま)と
云う様になったとは、秋の夜長に語りくらす古老の物語です。
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今回の写真公開の件に関してご住職に大変御世話になりました。
この場を借りて御礼申し上げます。
かなり貴重なもので相当数写真を撮ってしまいました。
手だけじゃなくて全身残っていたら大変な発見だったろうに…
舞台となった鐘突堂。