延命院の将門山(神田山)
平将門は天慶3年(940)2月14日の夕
戦に敗れて本陣に帰る途中で矢に射られて
38歳の生涯を閉じた。
首は京都に送られたが後に武蔵国柴崎村に葬られた。
胴体はこの延命院境内の一隅に埋められて
将門山と呼ばれた。
この地は相馬御厨の神領なので
将門山はあばかれることなく今に及んでいる。
昭和50年に「南無阿弥陀佛」の碑は東京都の
「将門塚保存会」からの寄贈、「大威徳将門明王」の
碑は延命院住職倉持照最氏の寄進、
顕彰碑は岩井市民の浄財によって建設された。
この辺りの一角のようだ。
大威徳将門明王
神田山の石碑。
平将門の生まれたのが茨城県と言われている。
茨城県心霊スポット