玉縄首塚
室町時代の戦乱によってもたらされた首を互いに交換し
ここに埋めたという。
中央にある五輪塔がもともとの首塚らしい。
板碑にはこうある。
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玉縄首塚由来
今を距る四百四十除歳 大永6年(1526年)11月12日
南総の武将里見義弘鎌倉を攻略せんと欲し
鶴岡八幡宮に火を放ち府内に乱入せるを知るや
時の玉縄城主北条氏時(早雲の孫)
豪士大船甘糟渡内の福原両氏と供に
里見の軍勢を此処戸部川畔に邀撃し
合戦数合之を潰走せしめ鎌府を兵火より護る
この合戦に於て甘糟氏以下三十有五人は
戦禍の華と散り福原氏は傷を負ひ
里見勢の死者その数を知らず
干伐収て後城主氏時彼我の首級を交易し
之を葬り塚を築き塔を建て以て
郷関死守の霊を慰の怨親平等の資養と為し
玉縄首塚と呼称す
経云我観一切普皆平等
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首塚が築かれた時に植えられたのがこの榎。
榎と言えば…本日更新の「謎の榎」も榎だった。
奇妙な偶然である。
右が五輪塔である。
2016年再び訪れてみました。
なんといってもここは榎の木ですね。
首塚の一帯。
背後の家は民家ではなく公民館である。
六地蔵。
昔の六地蔵といえば…
祟ったというイメージしかないのですが…