津和野城跡
津和野城の築城は、弘安5年(1282)能登より入部した
吉見頼行によって永仁3年(1295)頃よりはじめられ、
その子頼直の代の正中元年(1324)まで続いた。
小規模な曲輪を連ねた典型的な中世山城は城山山系の南端にある
中荒城跡をはじめとし、南北出丸から延びる支尾根に沿って
無数の郭群が伸び、とりわけ天文23年(1554)の
陶氏との戦いに際し、堅掘りなどの機能が築造されたと
考えられている。
慶長6年(1601)、関ヶ原の戦いの行賞で入城した坂崎直盛は、
津和野の町並みを見下ろす比高200メートルの城山山頂を削平して
壮大な石垣を設け、三重の天守を有する近世山城へと大改装した。
元和3年(1617)、因幡鹿野(現在の鳥取県鳥取市鹿野町)から
亀井家二代政矩が津和野初代藩主として入城した。
亀井氏は津和野藩邸を殿町にあった居館を城の麓に整備するとともに、
外壕を整備するなど現在まで残る城下町の形を完成させた。
明治4年(18710)、藩主亀井茲監は全国の各藩に先がけて廃藩を上中し、
津和野藩知事を辞職、浜田県へ合併した。
津和野城は津和野の商人三上喜左衛門に払い下げることが決まり、
明治7年(1874)解体に着手された。
その後藩邸の一部が「喜楽園」として整備されるとともに、
町民らによって藩主亀井茲監の銅像、国学者の大国隆正、福羽美静
日本紡績初代社長山辺丈夫らの石碑が建設された。
現在は公園として町民の憩いの場として親しまれている。
石垣を伴う近世城山部は昭和17年(1942)国指定史跡となり、
その後の調査によって中世山城部や藩邸跡(建物二棟を含む)の
価値が認められ順次追加指定が行われている。
津和野城跡は山城なので…
徒歩で登ることも可能ですが、ここまでの探索で
足が笑っているのでリフトにしました…。
リフトを降りたところから本丸まで歩いて10分ちょっと。
史蹟 津和野城址
石垣も立派に残っています。
本丸付近。
礎石が残っていますね。
石垣がまだ立派で城が残っていれば
結構な観光名所になったのではないでしょうか。
心霊スポットとしては城跡を歩いていると
足音が聞こえたりする、とかがあるようです。