チュパカブラ氏レポート
松園別館。
台湾では日本兵の幽霊が出るという噂があるそうです。
ちょっと見えてるあの建物でしょうか?
手前の建物も古そうですが…
奥に古そうな建物があります。
これだ、松園別館。
松園別館は民国32年(1943年)に軍部の
「兵事部」オフィスとして建設され、
付近の「放送局」(1944年5月1日設立、
現「中広花蓮放送局」)、「海岸ラジオ局」
(長距離電信管理局、現「中華電信」)、
「水道局」(花蓮美侖浄水場)などと共に松林に取り囲まれ、
当時美侖山の重要な建築物でした。
ここは日本統治時代、高級将校用接待所となっていて、
日本の神風特攻隊が出陣する時もここで天皇から賜った
「御前酒」を振る舞われたという言い伝えがあります。
実際、神風特攻隊は南空港や北埔空港のそばの兵舎に駐留していて、
いつでも出撃できる準備を整えていました。
南空港は現在の光華工業区よ製紙工場付近にありました。
日本統治時代の第二次大戦後期において、
視野的に北濱海岸の美侖渓の河口部を直接見渡せる高台という
有利な位置にあったため、美侖渓の河口部、花蓮港や大平洋を
一望することができ、南濱海上を行き交う船舶や南空港を離着陸する
飛行機等を容易に掌握できるということから、
日本軍の花蓮における重要な軍事指揮センターでもありました。
終戦後、民国政府の軍隊がここを接収し、
1947年、陸軍総本部の管轄となり、
アメリカ軍顧問団の将校レジャーセンターと様変わりしました。
台湾とアメリカの国交断絶後の1977年には、
国有財産局の所有となり、翌年の1978年には
行政院国軍退役官兵補導委員会の管理下におかれ、
1996年に国軍退役官兵補導委員会が「ホテル用地」として
売却する計画がありましたが、地元住民の反対に遭い、
2000年7月13日、花蓮県政府によって、
「歴史的風景特区」として制定され、
2001年12月20日には、「台湾の歴史百景」として歴史建築物に
指定されました。