絹の道を進むと道了堂跡にたどり着く。
道了尊を勧請したため道了堂といったようだ。
かつては栄えたようだが鉄道の整備によって衰退した。
木の葉の道を進むと道了堂跡への入り口が見えてきた。
階段を上がると広い広場に出た。
奥にあるのが道了堂跡だが…
折られた跡を修復した様子の石碑。
人為的なものだろうか…
お地蔵様。
やはり首を取られて修復の跡が。
ここは稲川淳二氏の話にある怖い話の首なし地蔵の場所。
首のあったお地蔵さんを力づくで首なし地蔵にしたかったのだろうか。
こちらは亀に乗ったお地蔵様。
そして道了堂跡。
木の葉が舞い落ちている。
この敷地内には入らない方がいいとの事。
昭和38年(1963)道了堂堂を管理していた老婆が強盗犯に殺害される事件が起きた。
その後は荒れ放題となり、昭和58年(1983)に道了堂は解体。
さらに昭和48年には立教大学助教授の大場啓仁による教え子との不倫の末、
この近くにあった本人の恩師の別荘で絞殺。遺体を付近に埋めている。
大場啓仁も事件発覚後に伊豆で家族4人と心中している。
同行した黒い花嫁(霊感強)が
「あそこの白くもやもやしたところにおばさんがいる…」
すかさずその場所を撮影するが筆者には白いもやもやは見えなかった。
上記写真にも写っていないが右側であるそうだ。
帰り際におばさんが「こっちよ」と言っていると。
しかもあまりよくない雰囲気であるとの事だった。
数年ぶりにまた訪れてみました。
最近、ここのお地蔵様の首を持っていた少年が補導されたという事件も
ありましたので、様子を見に…また荒れてしまっているのでしょうか。
数年前は胴体はちゃんとあったお地蔵様ですよね…
見事に首だけになっています。
数年前は右の石碑の上に左のお地蔵様が
乗ってたかと…。
怖い話「絹の道」