投稿者:桔梗 (ききょう)さん
私が小・中学生の頃、よく遊びに行ったテリトリーなのが、
都内N区にある石神井公園というところでした。
公園には大きなボート池があり、
道路を挟んで隣には三宝寺池という池と繋がっているようでした。
たしか中学生くらいの時だったと思います。
友人と二人、公園と公園近くにある図書館に遊びに行きました。
夕方になり、帰りがけ、ふと石神井公園の端の方(三宝寺池近く)の
、何というのでしょうか、
土手に横穴を掘ったような小さな祠があり、
穴の入り口には鉄柵のようなものが建ててありました。
なんの気もなくそこに近づき、ふと祠の前を見ると、
雨ざらしにあったような缶詰の缶と、
なにやらヨレヨレの手紙っぽい折りたたんだ紙が置いてありました。
なんとなく、見てはいけないような気がしたのですが、子供のこととて、
ついついその手紙様(よう)の中身を開いて見てしまいました。
中には(全文をはっきりとは思い出せないので、これは要約文)「私はここしばらく、
眠ろうとすると脇に白髪頭の老人が立ち〇〇〇〇〇と言う。
日々、眠れぬ夜を過ごしている。
そのため、ここに供養の品を供える」というような内容の文章が書いてあり、
その老人が水神で、どうやら祟りを受けたのだと書かれていたようでした。
夕方近くのことでもあり、私と友人は恐れをなしてその場から逃げ帰りました。
いったいアレはなんだったのか、今でもよくは分からないのですが、
後に水木しげる氏の本の中に“水生の翁”なる一文があり、
もしかするとああいう類のモノだったのかなー、
という気もしました。
ちなみに、高校生になって例の図書館に行った時、郷土資料館なるものがあり、
そこで土地にまつわる文献を調べていたら、郷土史というか伝承というか、
ある本に、この辺の昔話が載っていました。
それは、明治の終わり頃の話(と記憶しているが)。
車夫(人力車の)が、一人の若く美しい女性を乗せて三宝寺池近くまで来ると、
女はここで止めてくれるよう言った。そして一包みの紙を駄賃として差し出すと、
「決して私が行ってしまうまでは中を見ぬよう」言い渡したらしい。
しかし車夫は、こんなところでうら若き女が降りるのもヘンだし、
何より不気味だったのでついつい紙の中身を見てしまった。
するとそこには、大きなウワバミのうろこが3枚あった。
車夫が驚いて凍り付いている時、三宝寺池の池のあたりから、
バシャーンという大きな水音がしたという……。
そんな内容でした。
ここは、城主の娘(姫)が敵に追い詰められて、
愛馬と共に池に没して池の主になった、
という伝説もあるようですから、
そんな話が元になっているのかもしれません……。