史蹟 桶狭間古戦場
織田信長が今川義元を倒した戦場ですね。
奇襲攻撃であっという間に今川勢は総崩れ。
古戦場跡は現在公園として残っています。
昔から桶狭間の古戦場には武者の霊が出るという
言い伝えがあったようである。
弔古碑
文化6年(1809)津島の神官、氷室豊長が
建てたもの、碑の表面は「桶狭間の戦い」を
回顧する文と往時を偲ぶ詩、裏面には建碑の
趣旨が彫られている。
文章は尾張藩の儒学者泰県
碑面の文字は尾張藩の大坂用達役中西融の筆跡。
石工河内屋孫右衛門の手により刻されたものである。
今川治部大輔義元の墓
駿河・遠江・三河の国主、
今川義元は西上の途次、永禄3年(1560)
5月19日に織田信長の奇襲に遭い、ここで倒れた。
ここには、その霊が祭られている。
以前、ここは塚であったが有松の住人山口正義が
主唱し明治9年5月に、この墓を建てた。
古戦場
この地は、永禄3年(1560)5月19日
今川義元が織田信長に襲われ戦死した所と
伝えられ、田楽狭間、あるいは館狭間と呼ばれた。
今川義元・松井宗信・無名の人々の塚があり、
明和8年(1771)七石表が建てられた。
文化6年(1809)には桶狭間弔古碑が建立された。
また、戦死者を弔って建てられたおばけ地蔵・
徳本行者念仏碑などがある。