四王寺山
福岡県にある山
近年山頂付近にあるトイレで殺人事件がある。
走り屋も多く、交通事故も日常茶飯事。
ここは昔、山城がありました。
一応遺跡でもあるわけですね。
高橋招運公並びに勇士の墓
戦国の武将高橋招運(しょううん)は、23歳で岩屋城主となり
名将の誉れ高かった。天正14年(1586)北上した
島津5万の軍と戦い、城兵763名と共に玉砕した。
時に39歳であった。
招運以下勇士たちここ二の丸跡に眠る。
辞世歌 流れての末の世遠く埋もれぬ
名をや岩屋の苔の下水
太宰府市
岩屋城跡(本丸跡)
岩屋城は16世紀半ば(戦国時代)宝満城の支城として
豊後大友氏の武将高橋あきたねによって築かれた。
同12年彼は主家大友宗麟に叛き城を追われ代わって
吉弘鎮理(しげまさ)(後の名将高橋招運)が城主となった
招運は天正14年(1586)九州征覇を目指す島津5万の大軍を迎え撃ち
激戦十余日秀吉の援軍到着を待たず玉砕し落城した。
おまわりさんつかまえないでね!
走り屋の落書きかと。
この付近のトイレで昔、死体遺棄事件がありました。
このトイレでしょうか・・・・
怖い話「走り屋」
●戦闘の詳しい内容や時代背景等は、
ネットや書物等で調べてもらうと、あると思います。
福岡県福岡市近郊に「岩屋城址」とゆう城跡があり、
現在は天守閣はないですけど、石垣等は残っていて、
公園みたいに整備されてます。
おおざっぱにですが、戦国時代に九州制覇を目論む
薩摩の島津氏が、岩屋城に目をつけて大群で攻め込み、
城主だった高橋氏は700人あまりの部下とともに、
篭城して抵抗しました。
豊臣氏に援軍を頼みましたが、到着まで持ちこたえられず、
落城して城主の高橋氏は自決しました。
ネズミやモグラはゆうに及ばず、草木の根っこまでも
食い尽くすほどの飢餓に襲われ、戦死や病気で死んだ
仲間の身体さえも食べたそうで、太平洋戦争中にもありましたけど、
地獄絵図だったんでしょう。
昔から「食べ物の恨みつらみは強い」と言いますが、
時折、現在でも怪異や心霊現象が起きている模様で、
「食べ物をくれ・・・・・出来れば人肉じゃないのを・・・・」
と聞こえたり、武士の霊が目撃されたりしてるそうです。
噂じゃいろいろとある様子ですが、なるべく遊び半分の肝試しとかは
行かないようにして、慰霊碑があれば手を合わせる余裕がほしいです。