河原にあるのどかな光景とは別に
この石碑は歴史の悲惨さを物語っている。
三浦義彰戦死之地
背後には念仏碑や墓石(?)が並ぶ。
これだけキリスト教式。
南無阿弥陀佛の念仏碑が二基。
供中口古戦場
ここは、戊辰戦役の供中口古戦場であり、又、
二本松藩の農兵司令士三浦権太夫義彰戦死の地である。
義彰は戊辰戦役に老兵、農兵それに少年隊の一部を
率いて阿武隈川をはさんで対陣したが、もとより王政復古を
念じる義彰は、弓矢の鏃を取り捨て狩衣姿で出陣した。
西軍ではこの矢を見て、東軍にも「勤王の士」がいる
ことがわかった。勝敗の帰結は早かった。義彰は味方の
農兵達を退去させ、「あす散るも色は変わらじ山桜」と辞世
の一句を残して、独り壮烈な自刃をとげたのである。
霊は安達ケ原観世寺に眠り、のち大正8年5月17日、
正五位を贈られている。