キリスト教伝来の地
中央がフランシスコザビエルです。
左がヤジロウ
右はベルナルド
ザビエル、ヤジロウ、ベルナルドの像
フランシスコ・ザビエルを日本に案内したのはヤジロウと呼ばれる
鹿児島の青年でした。彼は貿易商で知り合いの船長から
ザビエルのことを聞き是非逢いたいtものだと考え
マラッカに行きました。ヤジロウを見たザビエルは
その人柄に感心し、日本にキリスト教を伝えたいと考え、
彼と共に1540年鹿児島に来ました。
鹿児島の太守島津貴久は、ザビエルにキリスト教布教を許しました。
鹿児島に約1年いたザビエルは、天皇から全国布教の許可をもらおうと、
洗礼名ベルナルドという鹿児島の人をつれて京都に行きました。
しかし、戦乱のためザビエルは、天皇に会うこともできずやがて
ゴアに帰りました。その折ベルナルドをヨーロッパに送りました。
ベルナルドは1553年9月リスボンに着き、ローマで教皇にも会いました。
ベルナルドはヨーロッパの土を踏んだ最初の日本人です。
大変立派な人で、ヨーロッパ人に大きな感銘を与えていましたが、
残念なことに病気にかかり1557年ポルトガルで亡くなりました。
ヤジロウはザビエルを案内して日本にヨーロッパの精神文明を
紹介する役割を果たしました。ベルナルドはヨーロッパに日本を紹介し、
高い評価を得ました。ザビエル渡米450周年にあたり、
この3人の友情に始まる日本とヨーロッパの交流を思い、
ここに像を建立し、偉業を長く後世に伝えたいと思います。
ザビエル上陸顕彰会
平和の使徒聖フランシスコザビエルは
日本人に大きな希望と愛情を胸にいだいて
1549年8月15日わが鹿児島に上陸しました。
ザビエル聖師は日本に初めてキリスト教を
傳えたばかりでなく更になお欧州の文化をもたらし
日本文化に大きな影響をあたえました
ここに聖師の鹿児島上陸400年の
年を迎えるにあたり記念公園を設け
その崇高偉大なる精神を永久にたたえるものであります。
昭和24年8月15日
こちらもザビエル像のようです。
ザビエル公園では胸から血を流した女性の霊が
現れるそうである。
ザビエルは全く関係ないんですね…。