鎌倉時代末期に起こった東勝寺合戦で敗れた北条氏。
北条高時はこのやぐらで自害したと伝えられている。
中には祠が…。この写真は2001年くらい。
最近は石製の祠になったみたいで。
さらに近くには佐竹櫓がある。
鷹永二十九年十月(1422)
佐竹・上杉の合戦に敗れた
佐竹上総介入道常元從十三人は
この矢倉の中で自刃した
●余談ですが、「やぐら」という言葉は鎌倉全域及び房総半島の一部に分布する
岸壁に矩形の横穴を掘って、その中に火葬骨や五輪塔を納めるという形態をとった
鎌倉時代の墓の事を言います。
語源は磐座(いわくら)が訛ったものとされているという説のほか諸説ありますが
詳しくはわかっていません。 ●あそこには自分も2~3度行った事がありますが、
幸か不幸か 霊感の無い自分は「薄気味悪いなぁ…」ぐらいで済みましたが…。 ちなみにアソコは、以前「ムー」誌が取材した時に
色々と怪現象が起こったとのことです…。
怖い話「腹切り櫓」