花岡山陸軍埋葬地(官軍墓地)
明治時代に起こった新風連の乱で亡くなった官軍の墓地である。
当時の明治政府は廃刀令(軍人や警官などの刀の携帯を禁止)
に反対した士族が起こした反乱である。
こちらは鎮台創設期からの死者136名の合葬碑。
神風連の乱
明治新政府の政策を亡国の前兆と信じた
熊本の士族120余人は、太田黒伴雄を首領として
1876年(明治9年)10月24日夜、熊本鎮台を
襲撃しました。数時間は熊本城を
制圧しましたが、その後鎮台兵に反撃され、
戦死自刃など続出して全滅しました。
その後、この反乱は、秋月の乱、萩の乱となって
各地に影響を及ぼしました。
官軍墓地(花岡山陸軍埋葬地)
廃刀令などに憤激、欧風化に抗議し挙兵し熊本城などに斬り込んだ
明治9年の『神風連の乱(しんぷうれんのらん)』
この反乱は明治政府に不満を持つ士族の蜂起(西南の役)の
前ぶれとなりました。
ここ花岡山陸軍埋葬地には、この神風連の乱に倒れた熊本鎮台司令官
種田政明少将・参謀高島茂徳中佐・大島邦彦中佐以下116名が葬られ、
隣接する県官墓地には同じく
神風連の刃に倒れた県令安岡亮良の墓もあります。
この墓地はその後一時荒廃しましたが地元の努力で整備され、
昭和55年には熊本市指定史跡となりました。
割と荒廃しつつあるような雰囲気ですね…