紅のプー太郎氏レポート
戦国地代に八代方面を統治していた相良義陽と、
益城町付近を統治していた甲斐宗運との間に戦闘がありました。
元々、公私共々仲が良く不可侵条約を交わしていましたが、
そんな事は当時の情勢が許さず、
やむをえず相良氏が攻めこんだんですね。
小競り合い程度の戦闘に勝利し、部下に進められたのかは
不明ですが、夜に宴会をやってる最中、甲斐氏に夜襲をかけられ、
混乱のうちに相良氏が討ち取られたそうです。
甲斐氏も丁寧に埋葬したそうで、相良氏の冥福を祈りつつ、
神社を作りました。(こんな感じだったかな?)
戦略上、攻めるには不適当過ぎる場所に、
本陣を構えた相良氏ですが、討ち死にする覚悟があったらしいです。
相良堂がある相良神社の正面ですが、
田舎によくある小さな神社みたいな感じで、
うっかりしてると見落としてしまいそうな感じです。
正面にある鳥居の左側に、町による云われを
説明文を書いたのがあり、どうどうと
「戰が行われた12月2月には、
馬のいななき、刀と刀がぶつかり合う音、
兵隊の悲鳴とも雄叫びともつかない声が聞こえてくる!!」
とありました。
真ん中に付いてるアレで「相良神社」と書いてあります。
新しめな鳥居ですが、数年前の台風で壊れたそうで、
建て替えられてました。
左側には史跡碑がありますけど、都合によりバス。
熊本地震の影響で、鳥居を潜ってすぐの所にある燈籠が、
両方とも倒れてしまっていました。
たぶん震度5弱以上はあったはずで、
この時点で嫌な予感が・・・・
東屋?(あずまや)から相良堂を望みましたが、
嫌な予感が的中してました。
見事な潰れ具合で・・・・・
言葉がありません。
見るも無惨に倒壊しており、
地震後の復興で大変な時期でもあり、当分の間、
再建は無理っぽいみたいです。(´~`;)
数年前に撮影してた画像があり、元々はこうゆうお堂がありました。
地震後の復興が一段落したら、早めに再建してほしいです。
裏側は、所々に木製のベンチと机?がありますけど、
すべて苔むしており、地面は腐葉土を踏んでるみたいで、
利用してる方は皆無みたいです。
ここら辺で終りますが、心霊スポットに含めるのは、
田原坂共々違和感がありますけども、
史跡として見て頂けたら幸いです。
それと、よほどの悪ふざけや悪戯をしない限り、
霊障等はないと思いますが、充分に気をつけて見学してください。
場所的には、熊本県の豊野中学付近にありますが、
詳しく書き込むとつまらないですし、自分で探して下さい。
熊本県水俣市方面へ釣りに行ったついでに、
相良神社の事が気になっていたから、
ちょっと立ち寄ってみました。
地震発生から4年近くになりますが、
無事に再建されており何よりです。
まだ新しいんで苔むしておらず、見た目には雰囲気がないんですけどね。
タブレットのカメラで撮影しましたけど、
なんか微妙に色合い等が変な気がしますけども、
曇りがちな天候のせいにしておきましょう。