長崎市でもかなりやばいのではないかと噂の…
権現山に来てみました。
天気はあいにくなんですが…
公園内にあったという電話BOXは撤去されていました。
電話BOXでの目撃談が多かったようなのですが
過去のレポートはにえべすGT-TURBOさんレポート
展望台までやってきました。
ノロシをあげた場所、展望台、鐘。
権現山といえこの変わった鐘ですね。
鐘の下の岩にはこう彫ってあります。
まごころの かねは
のろしと なりわたり
さかいなきくに おこらんとする
変わった鐘ですね…
ちなみにあいにくの天気で観光客もいませんでした。
展望台からは世界遺産登録で注目を集めている
軍艦島が見えました。
にえべすGT-TURBOさんレポートへ
長崎で一番やばいのは権現山(場所:野母崎半島先端)
だと思うんですけど、なぜ体験談などないのでしょうか?
地元ではローカルTVで紹介されるくらいの有名なスポットです。
いまは工事舗装されてきれいになっていますが、
3~4年前までは駐車場から頂上までは砂利道でしかも電灯などなく、
非常に薄気味悪いところでした。
駐車場には犬鳴峠にあるような電話ボックスがあり、
夜中に使うと恐ろしいことになるとかならないとか!?
頂上には釣鐘があり、(大昔、漁師に時間を知らせるものだったらしい)
その鐘を突くと霊にとりつかれて帰りの山道で事故ってしまうらしいのです。
地元の友人の話では実際に多くの人が事故にあっているそうで、
その友人も事故ったことがあると言っていました。
ポイントはもう1つ!頂上にある展望台です。
友人の話ではそこに ほとんどの霊が集まっているらしいのです。 駐車場の電話ボックスの中に顔だけ乗っかってたり、展望台の方にもいるとか
昔つきあってた人が霊感が強くいっしょにいると不思議なことにあったり、
その他もいろいろあって掲載されてる以外にもまだまだあります
●私も5年前に実際に行ってみたのですが、
悪ふざけた友人のひとりが鐘を突いてしまい、
”何もなければいいが”と思いつつ山道を下っていたところ、
ガードレールのないコーナーに設置してあった
コーン(工事現場によくある赤いヤツ)が
我々の道を塞ぐように道路の真ん中に転がっていたのです。(5~6個ぐらい)
その日その時間には山道中すれ違った車もなかったし
頂上でも誰とも会っていませんでした。
その後我々はコーンを道路の端によせて、
幸い事故らずに帰ることができましたが、
あれはいったい誰が、そして何のためにやったのでしょう?
人間の仕業なら単なるイタズラで済むんでしょうが。。。。
後日、気になった我々はカメラ片手に再び権現山を訪れました。
そして頂上の展望台と山腹にある鳥居とで
二枚写真を撮ったところ、
気になるものが二枚とも写ってしまいました。
一枚は人間の男性と女性と思われるものの顔が
それぞれ1つずつ写っていました。(展望台)
もう一枚は人間の全体像っぽいものを形作った
白いモヤみたいなものが写りました。(鳥居)
残念ながら(?)その写真は今は行方不明です。
多分実家にあるんでしょうが。
その写真を撮った時はさすがに気味が悪くて
”呪われる~~~~!!!!”とか思っていましたが、
結局今までそれっぽいことは何もありません。
それ以降権現山には行っていません。
怖い話「権現坂」
にえべすGT-TURBO氏レポート
いよいよ県内最強と思われる権現山である。
さっそく電話ボックスに近づくと、
・・・重い。
上や中に男が居るらしいとか、夜中に使うとヤバイとか。
別の角度から。
後ろに見えるのは自衛隊のレーダーサイトである。
展望台への道。
今はカラー舗装されていてきれいである。
前の写真左上の所から東シナ海。
眺めはかなり良い。
同じ所から角度を変えて。
シャッターが下りない・・・。
展望台への道。昼なのに暗かった。
夜には真っ暗になるのは容易に予測できる。
展望台横の解説。
これを読むと兵隊の霊が出るという話はつじつまが合う。
権現山自然公園(展望台)
ここは、海抜一九八、四Mの権現山の頂上部です。日本本土の最西端に
あたり、遠くは鹿児島県・甑島を見ることも出来ます。
風光明媚なことから野母半島県立公園に含まれ、十月~十一月にかけて、
また、二月~三月にかけてナベヅル・マナヅルなどの渡り鳥が、見られます。
次のような由緒があります。
一、寛永十五年に幕府の遠見番所が設けられた。
一、明治二十八年に海軍望楼が置かれた。
一、太平洋戦争当時は電探基地・高射陣地が設置された。
一、大戦後はアメリカ軍のレーダー基地となり、
現在は自衛隊が使用している。(駐車場)
野母遠見番所制札は省略させていただきます。
これはかつて不審船が来たとき狼煙を挙げていた台である。
展望台に登ってみる。・・・重い。
写真中央の島(見にくくてスミマセン)は端島(軍艦島)である。
にえべすGT-TURBO氏レポート2
展望台から野母崎市街地方向。
小雨が降ったり止んだり・・・、イヤな天気である。
展望台から野母半島先端方向。
この岬が町名の由来の「野母崎」である。
展望台から釣鐘を写す。
鐘の向こうでは家族連れがご飯を食べていた。
のどかやのう。
鐘の下の岩である。
まごころの かねは のろしと なりわたり さかいなきくに おこらんとする
鐘本体。1945-8・9と記述してある。
原爆投下の日である。
ちなみに、全体に世界地図が彫ってある。
まごころの鐘の説明があった。
発起の鐘頒
ここに国境なき世界-平和の地図を願う梵鐘
がある。ヒロシマの<悲願>ナガサキの<発起>あい呼応
する両鐘。平和への証を促す。
北緯32.5度。日本列島がユーラシア大陸○○最西端
野母崎。その対岸に中国揚州がある。この一線が揚子江
を遡ってヒマラヤを越えればカシミール、パキスタン、アフガニスタン
イラン、イラクそしてイスラエル・・・・ そこに燃える戦火
大戦への兆し。ノーモア戦争!ノーモア原爆!
・・・・以下判読不能。
要するに、原爆投下後、平和を祈念して広島と長崎(権現山)に
それぞれ呼応する二つの鐘を設置したということらしい。
それにしても、アフガニスタンとは・・。考えさせられるものがあった。
(調査日は米軍がアフガンに空爆した翌朝だった。)
鐘の横の広場。
ご老人が二人写っているが、結構人が居た。
・・・のどかだ。
展望台から少し駐車場方面に戻って神社をめざす。
それにしても、この公園ではキャンプはしたくない・・・。
「日山神社」さらに坂道を上っていく。
クモが多かった。
社の横に登ってきた。どうやらさっきの鳥居は裏門(?)だったらしい。
そして、手を洗おうとしたが、「げっ、汚ねー!」
水面にはゴミが浮いていた。
・・・しかも水道も出なかった。
日山神社のお社である。
もちろんガラス戸は開かなかった。
以上で今回の調査は終了である。
実際に調査して、目撃された霊との関係を見いだすことが出来た。
雰囲気的に入りたくなかった側道などもあったので、
機会があればまた来たいと思う。
・・・夜行こうかな。(←危険)