湯布院の山中、斜面にある墓地に
キリシタン墓地の文字がある看板がある。
由布院(峯先)のキリシタン墓群
当地のキリシタンは、約410年前の
天正8年(西暦1580年)湯布院郷土の一人、
奴留湯左馬介が部下とともに洗礼を受けたことにはじまる。
その翌年には伝道所が設置され、天正14年には
立派な教会堂が建てられ、領主フランシスコ大友宗麟の
庇護もあり、信者は1500人とも言われた。
しかし、徳川幕府の禁教により慶長19年(西暦1614年)以降、
きびしい「宗門改め」が行われ、キリシタンは
一応終えんしたが、いわゆる隠れキリシタンとなった者も多くいた。
歴史を物語るように町内には、多くのキリシタン墓があるが、
一番多いのがこの並柳・峯先墓地で、十字章のあるもの30基、
隠れキリシタンのものと見られるもの約40基があり、
苔むした墓に昔の面影が偲ばれる。
林の中には看板通り苔むした墓石群がある。
中でもわかりやすい墓石。
中心にダイヤ型の十字章がある。
こちらも十字が彫られている。
他の墓石にはぱっと見わからないが、
この辺りはおそらくキリシタンの墓群なのだろう。