史跡 黒岩横穴群
この横穴群は吉見百穴と共に世人に
古くから親しまれて来た遺跡であります。
学問的に注目され始めたのは明治10年に明治の
新政府から招かれて日本へ来たアメリカ人
エドワード・エス・モールスが東京の大森貝塚を
発掘し科学的に調査、検討が行われた頃からで、
当時、たまたまこの地方で聞こえた郷土史家の
根岸武香先生(大里郡大里村)もこれにヒントを得て、
横穴を発掘し謎を解こうと考えられ土地の人々の
協力によって早速実行されました。
発掘は意外に成功し16個新しい横穴が掘り出され
出土したものは人骨、土器、金属器、玉類等々言い伝えられています。
それ以来ここは16穴と土地の人たちから呼ばれるようになりました。
発掘調査の終わった明治11年
東京日々新聞(現在の毎日新聞)へ発表した。
黒岩村穴居の記には住居であると説明されておりましたが、
大正末期になり日本の考古学は急速に発達し住居説が
完全にくつがえされて、古墳時代につくられた墓穴で
あると断定されるに至りました。
*横穴の構造
横穴は普通の古墳の内部と同じように羨道と玄室と
呼ばれている部分からなりたっています。
入口からとおる細長い道路が羨道で奥の広い部屋が
玄室です。羨道から玄室に入る所の少しくぼんだ部分を
羨門と呼んでおります。
玄室は亡くなった人の死体を葬ったのです。
穴によって玄室にベッドのような高い床がついている。
これは棺台といって死体を入れた棺をのせておいたものです。
はっきりと横穴が確認できます。
四角い穴ですね。
なぜか穴の中にモヤみたいなものが写りました。
(鑑定結果は心霊写真ではありませんでした)
よくみると山肌には横穴が点在していました。
林の中で薄暗く、昼でもちょっと不気味な感じがしますね。