野毛大塚古墳
野毛大塚古墳は全長82メートル、後円部の高さ10メートルの
帆立貝式の前方後円墳で、前方部に近接して小さな
馬蹄形の周濠が掘られており、周濠を含めた全長は
104メートルである。三段に構築された墳丘は全体が
河原石で覆われ、円筒埴輪がそれぞれの段にめぐらされている。
後円部頂上には4基の埋葬施設があり、中央に粘土に包まれた
割竹形木棺・南東側に箱式石棺、北西側に二基の箱形木棺が
納められている。
割竹形木棺からは甲冑、刀剣、鉄ぞくなどの武器・武具類、
鉄鎌、銅鏡、銅釧、玉類、石製模造品、竪櫛などが
箱式石棺からは刀剣、鉄ぞく、玉類、石製模造品などが、
二基の箱形木棺からは、刀剣、鉄ぞく、鉄鎌、石製模造品、玉類などが
それぞれ出土している。
野毛大塚古墳は関東地方の中期古墳文化を代表する
5世紀前半に築造された古墳である。
出土しら多量の武器・武具類や石製模造品は、この古墳が
南部蔵の有力な首長墓であることを示している。
野毛大塚古墳の頂上
野毛大塚古墳前景
さて、この地がなぜ心霊スポットなのか?
祟ったといえば平将門公の首塚が有名だが、ここも
祟った塚のひとつである。
江戸時代には東大塚、塚山、吾妻塚と言われていたここは
古城跡だと思われていた。
明治30年に下野毛の三人の青年が好奇心から発掘をして
甲冑や副葬品を発見し、国立博物館に調査を委ねた。
青年の一人は病気になり、あとの二人は発狂して自殺。
「夢のなかに鎧兜をつけて馬に乗った侍が出てくる」といい、
腹をカミソリで十文字に切って死んだという。