石神井城跡

石神井城跡 心霊スポット

 

石神井城跡
石神井城跡
石神井公園内にある。
石神井城跡
石神井城は、中世武士の豊島氏の城です。
豊島氏は、葛西、江戸両氏とともに、
秩父流平氏で。鎌倉時代の末には、
石神井郷を領有していました。
室町時代に。城主の豊島泰経(としまやすつね)は、
武蔵守護の上杉顕定にそむいた長尾景春に味方しました。
そのために顕定を援助していた江戸城主の上杉定正の重臣の
太田道灌は、文明9年(1477)4月、この城に泰経を攻めて、
これを落としました。
石神井城は、中世の平城の一つで、
三宝寺池の谷と石神井川の低地とに挟まれた
小高い丘陵の上にあって、その周囲は
空堀や土囲でめぐらされていました。
今でも空堀のあとの一部を見ることができますが、
落城によって照姫が水中に身を投げたという伝説など
数々の哀れな物語を秘めています。
石神井城跡2
三宝寺池
ここが今回の伝説の地のひとつ
石神井城跡3
殿塚
殿塚の由来
文明9年(1477)石神井城が
上杉氏の軍将太田道灌との
戦いに敗れて落城したときに、
城主豊島太郎泰経は黄金の鞍を
つけた愛馬に乗り三宝寺池に
沈んだという伝説があります。
この塚は縁者が徳をしのんで
築いたといわれています
またこれより西方30メートルの
ところに、落城のとき同じく
三宝寺池に身を投げた
城主泰へるの二女照姫供養の
姫塚があります。
平成元年 四月
練馬区教育委員会
石神井城跡4
姫塚
姫塚の由来
文明9年(1477)石神井城が落城したとき
城主豊島太郎泰経の後を追い、
二女の照姫も三宝寺池に入水したという伝説があります。
この塚は縁者が姫の供養のために築いたといわれています。
平成元年 4月
練馬区教育委員会
石神井城跡5
三宝寺池
普段は地元の人のオアシスとなっているが、
おこでの心霊写真が撮影されるなど、心霊現象も無視できない。
妖怪体験談「三宝寺池・外伝

東京都心霊スポット

 

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