鳥取城跡

心霊スポット

近世城郭としての鳥取城
現在みられる石垣で造られた城(近世城郭)の姿は、
天正10年(1582)から嘉永2年(1849)の
約270年の間に段階的に整備れたものです。
特に元和3年(1617)に入城した池田光政は、
それまで5~6万石規模であった城を32万石の居城として
一新します。
中ノ御門から続く大手登城路や、
天球丸、二ノ丸も整備し、城の主要な部分はこの時に完成しました。
城内には、幕府の規制で三階以上の建物はありませんが、
二ノ丸には創建時、最新の建築様式だった層塔型
(正方形の櫓台に築かれ、上階を下階より規則的に小さくして
積み上げた櫓。初期のものは装飾がないデザインが特徴)
の三階櫓が、山陰地方で初めて建てられました。
その後の鳥取城は、藩主の生活と藩の役所を担った御殿を中心に
増改築されていきます。
江戸時代の終わりには、二ノ丸や三ノ丸が大きく拡張されたほか、
三ノ丸の南側には凶作に備えて籾を保管する倉庫群が造られました。
城内の建物は、明治時代に大半が取り壊され、残った石垣も
昭和18年(1943)の鳥取大地震で多くが崩れました。
城の建物は残っていませんが、宝扇庵(旧化粧の間)や
倒壊後復元された中仕切門が当時の面影を今に伝えています。

鳥取城跡1
鳥取市内に残る城跡。
つい最近、イメージキャラクターのかつ江さんで
話題になりました。
そう、鳥取城といえば、史上に残る凄惨な「かつえ殺し」です。
1581年豊臣秀吉に兵糧攻めをされた鳥取城内は
1か月で食料もほとんど底を尽き、餓死者が出始めた。
戦死した兵士や農民の死体を取り合いになりながら食べる、
一度埋めた死体を掘り出して食べるなど
すさまじい状況が続いた。結果4ヶ月で降伏。
降伏後、城の中の兵士に米を食べさせたところ、
半数が死んだという逸話がある。
このかつえ(餓え)殺しこそがここ鳥取城跡が
心霊スポットと言われる所以である。
鳥取城跡2
城の入口にある御門
西阪下御門
鳥取城跡3
石垣が残っており、いまだ復旧工事中の場所も。
山城であるが故、熊出没注意と…。
鳥取城跡4
一角に祠と古井戸が…
かつえ殺しがあった場所だけに色々想像してしまう…。
鳥取城跡5
石垣と祠はこんな感じ。
鳥取城跡6
珍しい丸型の石垣。
鳥取城跡7
更に上にあがるところにある稲荷神社。

鳥取県心霊スポット

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