山口県にあるキリシタン殉教公園
ここでは夜人魂が飛ぶことがあるという。
キリシタン殉教者と記念碑
明治元年(1868)に続いて明治3年、政府は
キリスト教弾圧政策をとり、長崎の浦上村全信徒
3800人を全国各地に流刑した。これがいわゆる
「浦上崩れ」である。
このうち約300人が萩の地に流された。
信仰篤い彼らを改宗させるために3年間続けられた苛酷な
拷問と飢えのため、40余名が英雄的な殉教を遂げた。
そのうち20名がここに埋葬されていた。
在りし日の迫害、忍苦の跡を偲んで萩カトリック教会
初代司祭ビリョン神父は、明治24年(1891)に、
信徒が幽閉されていたこの岩国屋敷跡に、寒天に裸体にされて
責められたという庭石を集め、それを基礎として
記念碑を造り、「奉教致死之信士於天主之尊前」の碑文を刻んだ。
またここには、慶長10年(1605)に棄教を拒んで殉教した
毛利藩重臣熊谷豊前守元直の碑等がある
中に入ると正面に大きな石碑が。
奉教致死之信士於天主之尊前の碑
他にも公園内に石碑があった。
奉教致死之信士於天主之尊前の石碑の裏には墓地が。
ここに埋葬されていたキリシタン殉教者のお墓でしょうか。