処刑場に選ばれやすい土地
処刑場に選ばれやすい土地はどんな場所なのか?
いくつか例と理由を挙げていく。
●街道の道沿い(人の往来の激しい場所)でかつ、郊外。
今で言う旧街道沿い。
古く日本で行われていた処刑は「一罰百戒」の理念のもと、
犯罪防止の見せしめとして行われてきた。
見せしめとしてその処刑遺体を見せるためには
人の目につく場所や、都市の入り口に作る。
「この街で悪いことをするとこうなる」という見せしめである。
あまり都心部で作ると野犬・悪臭などがおこるため、郊外が多かった。
東海道など江戸時代有名だった街道沿いなど。
あとは宿町の入り口にも設けられることが多かった。
●海、川、池など水場のすぐそば。
これは斬首など首を斬ったりした際に
処置を早めにするためである。
●関所の近く。
古くから日本では国と国との境界点に関所が置かれていた。
関所破り(関所を通らずに境界を越えること)は重罪とされ、
磔(はりつけ)になることがあった。
刑の執行は関所の近くで行うことが多かったので、
関所の付近には処刑場があった可能性は高い。
しかし、幕府の監視の強かった場所に限られる。
●城からみて鬼門・裏鬼門の場所。
これは地域によっても異なる。
●寺社仏閣。
比較的広大な土地があり、人里から離れているなど、
条件が揃っているので寺社の敷地内で行うこともあった。
常設の処刑場を持たない場所でよく見られる。
●江戸時代キリシタンがかなりいた場所。
常設の処刑場を持たない藩は石高の低い藩が多いが、
キリシタンが多かった地域は別である。江戸時代のキリスト教徒に
対する弾圧はすさまじく、通常行わない凄惨な処刑が行われた。
●犯罪者が犯罪を行った場所、その住居。
これは記録がない地域ではほとんどわからない場所である。
●またかつての処刑場跡地が処刑場に選ばれた例もある。
巣鴨監獄や市谷監獄は江戸時代以前にも処刑場があった場所と
伝えられている。