関宿藩処刑場跡(納谷の首切塚)
看板より
この地は、江戸時代の処刑場跡と
伝えられています。石碑はもともと
小高い土手の上にありましたが、今では
土手が削られて現在のような形になってしまいました。
石碑には南無妙法蓮華経と刻まれており、
また側面には享和元年(1801)とありますので、
石碑の建立年代はこの時であったと思われます。
しかし処刑場がこの年代に出来たのか、
それ以前にあったのかは、判然としていません。
またこの処刑場に関しては別な話も伝わっていて
実際に処刑したのはここではなく、
もっと西の利根川べりで、ここには
首だけ持ってきて埋葬した場所だという話もあります。
江戸時代の刑罰の中で、引き回しは
死罪の中で重いものに付加刑として行われるもので、
獄門・磔・火焙の刑にはだいたい付加刑として
引き回しがつきものでした。
図のような、斬首(首切り)の刑には、
下手人から始まり、死罪・獄門・磔・鋸引き・火焙りと
6段階の刑があり、また他に武士だけに
許された切腹もありました。
罪の重さによって決められて行きますが
斬首には変わりありません。
南無妙法蓮華経の石碑。
これが処刑場の跡であると言われている。
側面
背面
付近には石仏や石碑が点在している。
お墓だろうか。
原っぱの中にぽつんとある処刑場跡
立地的には処刑場跡として条件が整っている。
2016年再び訪問しました。
周囲の田園風景は変わらず。
民家が増えた気がします。
草がだいぶ増えていました。
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