服部大池 お糸伝説
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●服部大池
寛永20年から正保2年の満2ヵ年を費やし福山藩初代城主水野勝成が
総奉行神谷治部に命じ、福山領内九郡の百姓を人夫として動員し、
周囲約4km備後最大の大池を築造した。
「人柱お糸」は有名であり、「お糸の碑」もある。
●蛇園山
「備後富士」と呼ばれ備後一高い山で(標高540m)頂上は
高寵神社が祭られ雨の神様として知られる。
現在は車輌をも頂上付近まで登れる。
林道は完成、駐車場も有り眺望絶景で瀬戸内海も一目千里である。
福盛寺-1170年程前平安時代に建立されたという古刹である。
本尊じゃ千手観音菩薩、宝鈴「金銅五鈴」は県の重要文化財である。
由緒深い史跡がいくつもあり仁王像は鎌倉時代に造ったものです。
八畳岩、鬼の釜、赤子岩、波打岩等観光最適の地です。
横穴式石室墳(県史跡指定)
前方後円墳(県史跡指定)
備後一かや 服部大池は
かあいや お糸が 人柱
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服部大池概要
寛永二十年から正保二年の満二ヶ年を費し福山藩初代城主
水野勝成が総奉行神谷治部に命じ、福山領内九郡の百姓を
人夫として動員し、周囲約四km 備後最大の大池を築造した。
「人柱お糸」は有名であり「お糸の碑」もある。
池のほとりにある人柱お糸之碑と忠魂碑
中央がお糸。
手前の看板によると(見にくかったので間違い多数と思います)
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菊の香薫る11月3日文化の日毎年盛大にお糸祭が営まれ
霊蘇る生命の復活を偲ばれます。
像の中央に杖を持って立つのが十六娘お糸で
この杖は大池土手の中央部にチキリを打ち固める千本掻き道具所謂千本杖であります。
天空霊界から飛翔し来た天女は
天の羽衣を持参してお糸を誘ひ迎え天女立ちに天国浄土の妙なる楽を与え褒て一軸の法華を
捧げてお糸の功徳を頒し龍神は紫雲にたなびく蛇円八大龍王の使神で大池の水源確保の
守護神であります。
お糸人柱となりて星霜三百年久遠に大池堤防を
守りて神と共に生き抜き給う。
お糸保存会
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像の裏側によると(見にくかったので間違い多数と思います)
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建碑の辞
福山藩主水野勝成公神谷治朗を総奉行とし
寛永20年10月16日服部大池工事に着手す
領内九郡の農民を動員鋭意築堤に努めたるも
殊の外の難工事にて終に困窮の末十六娘お糸を
遠出地中深く埋めて人柱とす
以後工事順調に進行し正保2年10月
後期僅かに2年見事に完成す
星霜三百年遂にお糸殉死の功徳を譛え敬意を表す
意を決し此慮にお糸像を安置す
治水安民政根本 易言難行大工事
糸女淑暁守大池 難経年不忘人柱
昭和53年 10月吉日
駅家町老人会連合会
塑像製作者 正川一雄
岡田芦舟 書
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