チヨマトウ神社
チヨマトウ神社
チヨマトウ神社の由来について
「チヨマトウ」と呼ばれるこの沼は、
その昔は国道38号線の南まで広がる、
大きな三日月湖でした。
古来、日本の神道では、自然の沼や水産む、
山、樹木などを「ご神体」としてあがめ
尊んできました。特に、水を司る神
「国常立神・豊雲野神・水波女神・水分神」の
御神体として、沼や湖は大切にされていました。
ここチヨマトウには、十勝アイヌと日高アイヌ、
または十勝アイヌと北見アイヌとの間に戦いがあり、
敗れた多くの人がこの沼で果て、その血で沼の水が
真っ赤になったという伝承があります。
チヨマトウとは、アイヌ語で「悪霊の潜む沼」
「恐ろしい沼」という意味がありこの名前も
それに由来すると言われています。
平成16年、帯広市の玄武通整備計画に伴う
道路の直線化により、沼の三分の二が
埋め立てられました。
そのため、水を司る神々に鎮まっていただくために、
そして、語り伝えられているアイヌの人々の御霊の
鎮魂と慰霊をあわせて行うため「チヨマトウ神社」を
建立し、末永く人々の幸福を祈願いたします
鳥居をくぐってすぐにお社が見えてきました。
チヨマトウ神社。
これが…?
なぜか布で覆われて中がわかりません…
その背後に例の沼が広がっています。
そんなに大きくはありません。
チヨマトウ戦没者慰霊碑
これは新しそうな慰霊碑です。
チヨマトウの伝承と歴史
チヨマトウはアイヌ語で「恐ろしい沼、
害を受ける沼」という意味である。
この沼は古くは大きな三日月湖だったといわれ、
幕末に帯広を訪れた松浦武四郎もこの沼のことを
「チヨ、マトウ谷地中に小沼一ツ有 此水赤くなり
手本川え落」(戌午東西蝦夷山川地理取調日誌)と
記録に残している。しかししだいに小さくなり、
平成16年の道路の直線化に伴う埋め立てで
現在のような状態になった。
この沼には、十勝アイヌと日高や北見など他から
攻めてきたアイヌが戦ったという口伝承が残されている。
例えば、十勝に攻めてきた日高のアイヌが敗れて
退却する最中、空腹のためこの沼で水鳥を捕って
食べていたがそこを十勝アイヌが包囲して攻め込んだので
退路を失い、最後はこの沼に飛び込んで死んだという話。
あるいは釧路や北見の悪者が宝物を略奪するために帯広に来たが、
この沼でカモを捕って食べていたとことろを攻められて
飛び込んで死んだという話が伝承されている。