大平寺地蔵
地蔵が二体祀られています。
村太の地蔵さん
二体の地蔵さんがまつられている。
大きいほうは明治になってから、金沢の有松から
移したものである。ちいさいほうは夢のお告げで、
ここに安住された。
昔「武左衛門」という人がいた。
ある日夢の中に地蔵さんが現れて、
「わしは偏照寺のごみ捨て場にうまっている。
はよう掘り出してくれ。」と告げられた。
武左衛門は、あさになると仕事が忙しく
すっかり忘れていた。
しかし、それから続けてなんべんも同じ夢を見ると
気になってしょうがない。
思い切って金沢に行ってみた。
偏照寺は絶えていて、その跡に夢どおりの
ごみ捨て場があった。
武左衛門は、村の人達に話し、半信半疑の皆に
鍬をもたせてそのごみ捨て場へでかけた。
夢のお告げの所を掘っていると、
鍬にこつんとあたるものがあった。
急いで手で掘り進むと、一体の地蔵さんが現れた。
皆で手をかけ持ち上げようとしてもびくともしない。
武左衛門の手にかかると軽々と持ち上げることができたという。
だいじにおんぶして村に帰った。
地蔵さんの鼻の欠けているのはその時の鍬の跡である。
この地蔵さんは、歯痛止めの地蔵さん
子安地蔵さんともいわれ、つばき保育園創設の元になっている。
かすかにほほえんでおられ、やさしくお守りされている。
子孫は後に村太と名のられたので「村太の地蔵さん」と言う
こちらが鼻の欠けた村太地蔵
そしてこちらが…明治時代に有松から移した
としか看板には書いていませんが、
元々は金沢有松の磔場にあった供養の地蔵で、
明治時代に処刑場が廃止になってから
もらいうけたものである。
さっきからちょこちょこ写っている
「おんかか かびさんまえいそわか」
これは地蔵菩薩のご真言である。
こういった供養もあるんですね。
磔場にあった地蔵を受け入れる
大平寺の住民の温かさは半端ないですな。