住宅街の奥、歩道橋の手前にありました。
元文の板碑
元文2(1737)年、島津継豊(第22代)の時に建てられた石碑です。
この石碑は、正しくは「お医師様」ですが、地元の人は
”オイシサァ”と呼び、病気を治す神様として尊敬しています。
藩政時代、島津家の御典医であった人が
無実の罪で打ち首の刑を受けることになりました。
藩としてもこの医師の処刑に同情して調査したところ
無実が判明し、早速、死刑停止を命じましたが、
すでに処刑されていました。
この医師が死の直前「私は死んだ後でも重病や
伝染病に苦しむ人々の願いを聞いてやりたい」と言ったことを
聞いた藩主は大いに後悔し、この医者のために石碑を立てて、
碑守役までおいて霊を慰めたそうです。
この五輪塔の梵字は、五文字で空・風・火・水・地輪の五輪を表わし、
いっさいの功徳を兼ね備えていることを示しています。
左側にも何か書いてるようです。…読めない。
五文字の梵字も結構わかりにくい
左側には建立した時の碑が残っています。
現在のこの碑は前のが崩れたので新しく
作ったものらしいです。
この板碑、涙橋処刑場のほど近くにあり、
薩摩藩の処刑場が涙橋処刑場であったことを
示す史跡ともなっています。