七人塚
太田道灌墓所の近くにあります。
七人塚
江戸城の築城で有名な太田道灌が、主君上杉定正に
「道灌 謀反心あり」と疑われ、定正の糟屋館に招かれ、
刺客によって暗殺されました。
そのとき上杉方の攻撃を一手に引き受けて討ち死した
道灌の家臣7名の墓で「七人塚」と伝えられています。
この塚は、上粕屋神社の境内の杉林の中に7つ並んでいましたが、
明治の末に開墾するとき一つ残された伴頭のものといわれ、
今でも七人塚と呼ばれています。
奥には石碑や地蔵が並んでいます。
よく見ると地蔵の頭は丸石を乗せているだけ…
こちらの地蔵は崩壊しかけています。
かなり古いものなのでしょう。
こちらは首が無い胴体だけの地蔵。