首塚
畠山重忠公は鎌倉時代の武将で、
源頼朝の忠臣として幕府の創設にも
力を尽くし、智・仁・勇を兼ね備えた
武将として名声をはせていました。
しかし幕府の実権を巡る争いに巻き込まれ、
旭区の二俣川付近で戦死しました。
ここは、畠山重忠公の首が祭られたところといわれています。
現在は西向きに建っていますが、
以前は南を向いていたそうです。
看板より
左側がお地蔵様
右側が石塔。
石塔は祟りを鎮める時などに置かれることが多いと聞いたことがある。
閑静な住宅街の中にある。
お地蔵様の微笑みがなんだか不気味に感じてしまった。
なんでこんなに顔が白いんだろう…
近くには首洗い井戸が…
首洗い井戸
畠山重忠公は鎌倉時代の智・仁・勇を備えた武将でした。
しかし、幕府の実権を巡る争いに巻き込まれ、
鎌倉に至急参上せよという北条時政からの命に接して
鶴ヶ峰にさしかかったところ、北条勢の大軍に待ちぶせされました。
熱戦を繰り広げましたが、弓の名手愛甲三郎季隆(すえたか)の
放った矢に当たり、42才の生涯をこの地に閉じました。
元久2年(1205年)6月22日のことです。
ここには重忠公の首を洗い清めたといわれる井戸がありました
以前は帷子川の河原に直径1メートル程の穴があり、
水が湧いていたといいますが、川の流れが変わって失われてしまいました。
看板より