長崎県長崎市伊良林
光源寺
8月16日、光源寺。
毎年このお寺では産女の幽霊像が公開される。
産女の幽霊ご開帳
本堂に入るとお寺の方にご挨拶し、「ウグメ像を拝見したいのですが」
とても親切な対応で右側奥の部屋に通された。
通された部屋は灯りを消し、ろうそくの火とちょうちんのみの部屋。
中央奥に産女(ウグメ像)が。
左側にはウグメ像と一緒に伝わる幽霊の掛け軸とその後お寺に納められた掛け軸が。
掛け軸についてはこちら
ウグメ像の由来についてお寺の方が語ってくださいました。
お線香をあげ、いよいよウグメ像。
天井から吊るされており、左側を向いている。
右側からお顔を撮影。
さらに近づいてみる。
目にはガラスがはまっているという。
髪の毛は「ちょうせんかもじ」というもので作られているそうである。
ウグメ像を納められている箱。
ウグメ像というのはこの光源寺に伝わる飴買い幽霊の民話に基づいているという。
飴買い幽霊の伝説自体は有名だと思いますが、
お寺の方に説明頂いた内容と掲示されていた絵と共に紹介していきます。
産女の幽霊の伝説
2002年8月16日建立
赤子塚民話の碑
幽霊井戸のあった場所へ移動
かつて幽霊井戸はここにあった。
現在は防火水そうとして使用されている。
ウグメ像ご開帳の際、頂いた飴。
食べるとお乳がよく出るのだという。
昔ながらの飴ですごくやわらかい。
甘すぎずおいしい。
産女(ウグメ)の幽霊像と幽霊の掛け軸公開は
毎年8月16日午前10時~午後4時まで。
産女の幽霊像の伝説
昔、夜中になると飴屋に一文分の飴を買いにくる女性がありました。
それから毎晩女性は一文分の飴を買いに飴屋にきました。
七日目の晩、女性はお金が無くなったというので、飴屋は飴を女性にただであげました。
この日、飴屋は友人達と女性の後を気づかれないように追いかけました。
女性は光源寺の裏の墓場に向かうと、あるお墓で消えました。
飴屋達は驚いて逃げ帰りました。
翌日、光源寺住職立会いのもと、幽霊が消えたお墓が掘りおこされました。
すると女性の遺体のそばで生まれたばかりの赤ん坊が飴をなめていました。
女性は死後赤ん坊を産んだのですが、お乳は出ないので飴屋に飴を買いに行き、
赤ん坊に与えていたのでしょう。
六日でお金が無くなったのは六文銭で飴を買っていたからでしょう。
(六文銭とは死ぬと三途の川に渡るのですが、渡し賃に六文が必要だと言うので、
棺桶に六文入れるという当時の風習です)
赤ん坊を掘り出した日の夜、飴屋に再び幽霊が現れ、お礼がしたいと言ってきました。
飴屋は「このあたりは井戸がなくて困っているのでなんとかならないか」と言いました。
幽霊は「明日私の櫛(くし)の落ちているところを掘ってみなさい。」と言いました。
翌日飴屋は櫛の落ちている場所を掘りました。
するとこんこんと水が湧いてきたのです。
以後、その井戸は「幽霊井戸」と言われ、麹町の人に親しまれてきました。