平林城跡には変わった名前の史跡がある。
その名も「首切清水」
処刑場の跡地である。
首切り清水の由来
「御領主の馬の足址なり」との伝説もあるが、
実際は罪人処刑の場であった。
特に沸きでる清水は「真夏といえども
涸れることなし」とあるように清めの水とも
伝えられている。
伝来文書によれば、色部勝長公の御代
天文4年、早田清左衛門尉、布施小三郎らが、
色部公に謀叛したり、天正年代には
4人もの手代者が処刑されたことを伝えている。
通称「人切り場」と呼び1世紀前までは
鬱蒼と茂る樹木は昼間といえども暗く
人の寄りつかない場所とされていた。
今はただ一筋の清水だけが往時の歴史を
とどめるにすぎない。
この辺りはちょっとした窪地になっている。
窪地を少し降りてみる。
人の通った跡をたどると清水に行きついた。
草でわかりにくいが、水の流れる音がする。
これが首切清水の水。
よくみるとここを起点に小さな小川が流れている。
末期の水にも、刀を洗うときにもこの清水が
使われたのでしょうか。
処刑はこの辺りで行われたのかもしれない。
それにしても戦国時代の処刑場が残っているのは珍しい。