河原の奥に千人塚という名称の祠があります。
様々文献では「川崎処刑場跡」という記述もあるのが
おそらくここだと思われます。
千人塚起因
江戸時代には罪人の処刑場が町はずれの
交通の要地に設けられた。
これは一般への見せしめの為であった。
津山では出雲街道が城下町へさしかかる加茂川の
渡場付近の河原がこれに当てられた。
これら多数の霊を弔うために寛政2年(1790)2月吉日
三界萬霊塔が建立された。
その後も引き続いて明治初年までこの地で処刑が
行われた萬霊塔は堤防工事鉄道の新設其の他の事情にて
少しは移動されたが大体元の位置にあって世に
千人塚と呼ばれて香花を供える人が絶えない。
昭和56年8月16日
萬霊塔の裏には小さな地蔵が…
橋側からは
千人塚
三界萬霊塔
の看板が見て取れる。
橋を渡ったところにある大きな地蔵と石碑
地蔵の礎石には「供養塔」とあり、
隣の石碑には國分寺道とありました。
安永10年とあるのでおそらく処刑場の供養も
兼ねていたのだと思われます。