享保初年頃、堺奉行に属する御仕置場が
小栗街道の一里塚のあたりにつくられた。
南北二つのうちの南の御仕置場(処刑場跡)
ぽつんと祠のある場所がある。
一里山地蔵尊。
一里山地蔵は大正時代(1912~1926)の初期には
村の西端から300メートルくらいの距離で、村と
小栗街道との中間にありました。山とか丘という
ほどでもなく、小さな土の塊のようなもので、これが
大和川から一里(4キロ)のところにあることから
一里塚と呼ばれました。現在は「一里山地蔵尊」が
まつられています。
みちびき地蔵とある。
この地蔵尊のあった場所辺りに南御仕置場があったという。
仕置に関する諸役は堺に住む民間人が司ったという。
堺市史より。