本光寺
首塚
戦国時代、沼津周辺では小田原北条氏と甲州武田氏の
勢力争いが激しく、とくに天正8年(1580)の
千本浜の合戦は激戦であった。
明治33年、暴風雨で倒れた松の大木の下から
たくさんの頭蓋骨が発見され、地元の人たちはこの骨を
集め、塚を築き、碑を建て「お首さん」と呼んで手厚く
葬った。
人骨はこの合戦の戦死者のものと言い伝えられてきたが、
昭和29年、人骨研究の権威鈴木尚東大教授の
調査により当時のものと確認された。
おびただしい頭蓋骨の数や刀傷の深さから、戦いの
激しさがうかがわれ、とくに十代後半の若者の骨の多い
ことが注目されている。
碑文は旧沼津藩士岩城魁によるが、地元市道町の
人びとが今も霊を厚く弔い、香花の絶えることがない。
明治時代建立なので碑はそんなに古くは
感じられない。
一体どれくらいの頭蓋骨がでてきたのか…
2015年再び調査しました。
久々に来ましたが雨に降られてしまいました…。
前回は周辺で通行人の方が騒いでいたため、
動画撮影を控えましたが今回は試みます。
前回調査後にこの付近、千本松原周辺が
昔処刑場があったという言い伝えもあるという
情報を頂きました。
気がつくとすぐそばにはお地蔵様が。